常識は、18歳までに集めた偏見のコレクションである。

アインシュタインの言葉です。

大学進学とともに離れた地元、
就職とともに上京、

今思えば、18歳までの世界があまりに偏り、凝り固まった考え方だと思い知る今日この頃です。

その短い期間の中で出会った大人達の言う事を、クソ真面目に守っていた私は、そうしなくても別にいい世界を知ってしまった訳です。

未だにその時植え付けられた偏見を引きずる時もあり、逆に今までと違うという事が面白くて楽しくなる時もある。
もっと他の方法もあったのに、どうして教えてくれなかったんだ、と八つ当たりしたくもなった。
定められたルールを守るだけでは、見えない景色もあった。

でもあまりにも変わってしまうと、自分が無くなるのかもしれません。
固執した考えは、むしろ、貴方独自のモノだったりもする。貴方を貴方で居させてくれるモノだったりもする。
貴方の美学や、行動や性格を形作るアイデンティティになっていたりもする。

そして現在、今までそれが良い、当然と思っていた事が本当にそれが良いのか?と分からなくなってしまった。

安定した大きな会社に入ることが本当にいいことなのか、分からない。
一つの会社に居続けるのか、離れるのか。
会社員でいるのか、自営業か、フリーランスか、派遣社員か、アルバイトやパート社員か。
それがどんなキッカケか、どんなタイミングかなんて、測れない。

手に職や、資格がある方がいいのか、分からない。
無くても仕事できる人はいる、あっても仕事出来ない人もいる。単なる記憶力か、応用できるかの違い。

仕事に生きることがいいことだとは、もう思わない。
体や心を病んでまで続ける仕事に意味はあるのか。
仕事が生活の基盤か、仕事は生活の一部か、その解釈の違い。

だからと言って、夢ばかり追うのが良いとも思わない。
現実の生活から目を背けているだけではないか。
大事なのは両立だ。

結婚や出産がいいことなのか、分からない。
出来ないから人間的にダメな訳でもない。
好みじゃないのに一緒に居続ける時間のロストは考えたか?
次の世代を残すのは良いけれど、その子にとって良い環境を与えてあげられる程、自分はちゃんとした大人なのか?最後まで責任持てるのか?

ぐたぐだ考えずに、考えるより慣れろ。行動しろ。なのかもしれないが、何も考えずにただ流される生き方もいかがなものなのか。

「多様性」という便利な言葉で、多くの選択肢を提示されたけれど、じゃあ自分はどの道に行きたいのか、どの道が自分は心地よいか、後悔しないか、分からない。
分からないままでも、一歩一歩を歩まねばならない。

私は果てしなく続く自由の真っ只中にいるのに、この枠の中に自ら収まりにいっている、この状態が息苦しいのです。

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