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【研修報告】心の健康セミナー「不安・うつと付き合い、生きる力を磨く~生きづらい時代の森田療法~」

こんにちは、就労支援員のサイトウです。

2/23(金)  13:30-17:00 森田療法の研修をオンラインで受講しました。
研修は、森田療法の自助組織である生活の発見会 関東第一支部が主催したもので、当事者の発表と森田療法の権威である北西 憲二先生の講演でした。

森田療法はわたしにとって大切な考え方の一つであり、また最近勉強中の、第三世代の認知行動療法といわれるACT(アクセプタンス&コミットメントセラピー)とも多くの類似点があるため、今回の研修は非常に楽しみにしていました。

今回は研修の内容と雑感を書いてみたいと思います。



①森田療法とはなにか
森田療法とは、精神科医の森田正馬が100年以上前に創始した心理療法です。当時の神経症(現在の強迫性障がいやパニック障がい)を治療するために開発されました。当時優勢であった精神分析とは異なり、過去の体験を重視しない、また症状を治療しようとはせず「いまここ」を大切にし、不安をそのまましてに行動するという「目的本位」「あるがまま」の姿勢を重視しました。
森田は、パニックや不測の事態が起きたり、コンプレックスを意識すること等でそれらに注意が集中し、不安になることを「とらわれ」と表現しました。そして不安になることでまたそれらへの注意が過敏になり、行動できなくなるという悪循環を精神交互作用と呼びました。
また、不安を取り除こうと努力することを「はからい」と表現します。しかし不安は本来取り除けないため、不可能を可能にしようとしている、この心的規制を思想の矛盾と呼びました。この精神交互作用、思想の矛盾から解放されるには、不安や症状をそのままにし、自身のやりたいことや目的に向かって行動することが大切であるとしたのです。
独創的なのは、すすんで症状を改善したり、性格を変えようとはしないことです。不安の感情は人間である以上、あって当たり前で、それを排除することはできません。森田は神経症になりやすい性格をヒポコンドリー性基調と呼びましたが、これは場合によっては完璧に仕事をこなし、些細なことに気付くという点で強みにもなり得ます。実際に森田自身も神経質であったことが、本人自身の著書で語られています。※1


②生活の発見会 会員の体験発表
冒頭では生活の発見会理事長のお話がありました。理事長も神経症(勉強中に雑念が浮かぶ、疾病恐怖)にとらわれた過去があったそうです。また森田療法は科学であり宗教ではない。また政治とも関係ないと話されていました。これは大切なことで、世界を見ても創始者の名前がそのまま付いた心理療法はほとんど見当たりません。無宗教者が多い日本人的に、こういった心理療法についてはある種の胡散草を感じることもあるでしょう。森田はそれを嫌ったのか、自身の療法を「自然療法」と呼んだそうです。現在でも森田療法という名前を聞いて怪しむ人は少なくないと思われます。
生活の発見会は、月1回程度の集会によって「ホッとする居場所の提供」「同じ悩みから立ち上がった人がいるという希望」「症状克服のための知識を得る」という3つのサポートを提供しているそうです。また自由に会を離れたり、いつでも参加できること、自身の回復のサポートの場として活用できるという点で、宗教的ではなく、医療的行為ではなくとも極めて治療的な会であるといえます。

会員の発表では、自身の性格傾向(神経質・内気であり、人の目を気にする)について説明があり、雑念恐怖(ふと違う考えが浮かぶ)や輪読恐怖(皆の前で本を読むのが怖い)にとらわれ、それをはからおうと努力されていたというお話がありました。具体的に、性格を図太くする体操をされたり、自律訓練法に取り組まれたりしていたそうですが、効果がないどころか、かえって症状が気になることが多くなったそうです。とにかく症状をなくそうと様々な努力をされていたことを聞くと、胸が痛くなりました。
とあるきっかけで森田療法に出会った演者ですが、最初は表層的な知識であったため「あるがままにならねば」ということにとらわれていたそうです。その後、一から森田療法を学ぶために生活の発見会に入会し、基準型学習会(森田理論を単元ごとに学ぶ会)で学び直したり、集団会で仲間と体験を分かち合ったことから、性格改造への取り組みをやめ、今の生活のまま必要な仕事に手を出していくことができるようになったそうです。今でも森田の「自然に服従して境遇に従順なれ」という言葉を大切にしているとのことでした。神経質を治すのではなく、神経質のままでよいという変化になったのは、演者にとっての生きやすさに繋がったことでしょう。


③北西憲二先生の講演
北西先生は森田正馬のいた東京慈恵会医科大学のご出身で、現在は森田療法研究所所長・北西クリニック院長をされておられます。著書『はじめての森田療法』は現代の治療としての森田療法を平易に解説されている絶好の入門書です。
森田の時代は、入院森田療法が主流でしたが、現代では外来森田療法が中心になっています。北西先生は外来森田療法のガイドライン作成に携わるなど、今の森田療法の権威ともいってよい先生です。

先生は、現代は生きづらい時代であると話します。多様性や共生社会を謳っているものの、実際は同調圧力が働いており、まわりと違う人を排除する傾向にあると指摘します。
また情報化時代により情報依存に陥ることで、直接的体験が欠如しがちであること、感覚や感性を得られにくい、また少しの違いに対して自分を病気でラベル付けしようとする傾向にもあるのではないかとしています(診断カテゴリーの氾濫)。他にもコミュ力の大切さを強いることや、過剰な健康神話などを問題意識として捉えていました。
これらは「こうあるべき」というべき思考を増強させます。そして「理想の自己」を探そうと努力します。森田療法からすると、これらは前述したように思想の矛盾です。先生はこれを繋轆橛(けろけつ。ロープに繋がれたロバが逃げようと回れば回るほど、杭にロープが巻かれ動けなくなること)と表現されていました。そしてこの現代的な病理に対して、森田療法が回答をもっているといいます。それは、これらを治そう、変えようとするのではなく、自己の生きる力、感性のままに生きるということです。

今回の講演では「削る」「引き出す」「ふくらます」というキーワードが多く出ていました。

森田療法の現代的な方法は、できないこと(感情、他者を変える)とできること(自身の行動)を分け、べき思考(頭でっかち)を削りつつ、健康な力を引き出し、感性や感覚を膨らますことが大切であるとのことです。そうすることで、悩みがありながらもできることへの行動が自然と行われると話されています。

例えば子どもの発達についての親の悩み。
子育てにおいて、親は様々なことに悩みます。先生は、まずは 距離を取る(心に余白を持つ)ことが大切であると話されました。これにより、悩みを解決しなければならないという「かくあるべし」という自分のとらわれに気づきます。 これが「削る」の段階です。
次に自分の不安を受け入れる(悩みは当たり前、できること、できないことがあると気づく) ことを大切にします。いわゆるネガティブケイパビリティです。 ネガティブケイパビリティとは、不条理やできないことに耐える力のことをいいます。つまりはからいをやめることと同義であるといえます。これにより本来持っている健康的な力が「引き出され」ます。
そして、子どもの特性を理解し、子育てに建設的に取り組むことや、長所に目を向けることができます。 「ふくらます」の段階です。

各段階は直線的ではなく円環的にまわっていきます。そして、これこそが生の欲望に基づく生き方なのです。



④講演を聞いて感じたこと
わたし自身も非常に神経質な性格で、細かなことを気にしたり、人の顔色や動きを気にして自分が注目されまいと逃げ回るようなことをしていました。森田療法を学ぶ中で感じたのは、そのままでいいということはもちろん、この性格傾向が対人援助職では周囲への気配りや些細な変化に気がつくという点で強みになるということでした。わたしが今の仕事を天職であると感じられるのは、この性格傾向のおかげなのかもしれません。

森田の凄さは「問題の解決の試みが問題である」という逆説的な介入を行い治療したことだと思います。西洋においてはこのような考えはなく、最近になってやっとACTが似たような理論を作り上げました。また「できないこと(感情、他者を変える)とできること(自身の行動)を分け、べき思考(頭でっかち)を削るという」という考えは、CBTとも似ています。これらの考えを100年以上前に発案した森田はやはり優れた臨床家といえます。

わたしが最も好きな森田療法の書籍は、岩井寛先生の『森田療法』です。岩井先生は執筆時、全身ガンに侵されていました。死は恐れざるを得ないと死の恐怖を認め、死があるからこそ生きる希望があるとして、なすべきをなした結果作り上げたのが本書です。岩井は「死を覚悟した瞬間から、筆者には、その時から死までの時間が非常に大切に思えてきた」※2と述べます。まさにあるがままの思想で、なすべきをなすということを、最期まで実践されたのです。

森田療法を忠実に、厳格に再現される方はわたしの理解が不十分と思われるかもしれません。しかしながら、ミュージシャンの歌の解釈が聴いた人それぞれ異なるように、森田理論を自分なりに解釈し、生活に役立てることができているのであれば、それでよい気がしています。「森田正馬の語ったようにすべきだ!」というのは森田信仰、ある種森田療法へのとらわれです。故人である以上、わたしたちが森田正馬と全く同じように考え、技法を完璧に再現することはできません。ですので自分にとっての森田療法を意味づけることが大切だと思います。森田も「従順と盲従は大ちがい」※1と述べているように、森田の考えから自分の心の中に宿る素直な思いに従うべきで、森田の一語一句を真似して従うのではありません。他の解釈を許さないのではなく、自由な解釈の森田療法が広まってほしいと願っています。



最後までお読みいただきありがとうございました。


-引用・参考文献-

  1. 森田正馬著・水谷啓二編(1999)『生の欲望[新版]』白揚社,p229,pp252-253. https://amzn.to/3SRkHhV

  2. 岩井寛(1986)『森田療法』講談社現代新書,p193. https://amzn.to/3SOc7ke

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