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プロローグ~伊藤公朗人生の反省文~

ウグイスが鳴き始めた春のおとずれ、久しぶりの雨が僕の心に潤いをもたらす。

庭のテーブルには、昨日、孫娘たちが摘んできたタンポポとツバキの真っ赤な花の、雨に包まれた鮮やかな色が、より一層際立つ。目の前に広がる光景は、愛媛の山間にある小さな禅寺に生まれ育った僕に、やっとここまで生きてきた、そして、あっという間にここまで生きてきた、という思いを、心に投げかけてくる。

人生というのはわからないものだ。昨日は黒だったものが、今日には白になっていたり、反対のこともある。もはや何が正解なのか分からない。そもそも正解などというものを探している時点で何か間違ってしまっているのかもしれない。ただ、生きているという実感だけが、心に明かりを灯す。


禅寺で生まれ、僧侶の父を持つ僕は、やはり最後には自分も僧侶になるんだろうなぁと漠然とした想いがあり、そうなるものと信じ込んでいた。人生の半ば、連れ合い(美郷)と得度をして僧侶の生き方を選択した時期もあったが、僕も連れ合いも型にハマった生き方が性に合わず、僧侶であり続ける生き方を捨て、平民に戻ったことを盛大にビールで祝ったものだ。やはり人生とは一寸先のことなど分からない。分かろうとするエゴがもはやおこがましい。そんなことを考えながら飲むビールの美味いこと。やはり僕は、僧侶とは程遠いところで生きていきたことを実感する。そして安堵とともにビールの缶は次々と空いていく。


僕は、団塊の世代が終わり、残骸の世代とでも呼ぼうか、なんだか何でもありのめちゃくちゃなカオスの時代に生まれ育った。学生運動真っ盛りだったり、高度経済成長期で日本がどんどん膨大になって行ったりもした。そんなバブルも崩壊し、また残骸の世代が始まったりもした。

僕が子供の頃の話を連れ合いとしたりすると、「いつの時代の人?年齢詐称してるでしょう?」と言われることもあるくらい都市部と田舎での格差もすごかった。当然僕はそんなことは一度も感じていなかった訳で、大人になって全部知らされる。衝撃だ。当たり前だと思っていたものの全てが当たり前ではなかったのである。そして僕ほどの原始的・自給的生活を送ってきた人間に未だ出会ったことはない。どうやら僕の生まれ育った環境は、時代が止まってしまっていたのかも知れない。

時代の流れなど全く気にしていない僕の性質は、間違いなく時間が止まっていたあの故郷での時間があったから備わったのだろうか、と大人になり感じる。が、もはや手遅れだ。僕はこれからも全く時代にはついていく気はないし、付いていけない。


まだバックパッカーなどが珍しかった時代に、僕はインドに行き、そのまま8年間のシタール修行を行った。この辺りの話は、2002年出版の僕の著書『ヒマラヤ音巡礼』に綴ったので、まだ読まれていない方は絶対に読んだ方が良い。読まないと人生3割損しているし、読まないと孫の代まで祟られるらしい。僕に。

インド滞在を終え、信州の山奥での生活が始まり、またそれも終え、今は山梨県甲府市に居を構えて今に至る。

あんなに小さかった息子たちも、今はそれぞれが家族を持つ立派な一家の主人となっている。孫たちに囲まれ、止まっていたと思っていた時間が動いていたんだと実感している。そして生きていることにただ感謝をするようになってきた。ろくでなしの僕の中にわずかに流れる僧侶の血が僕にこんなことを思わせるのか。そんなことを考えながら飲むビールがやはり美味い。


これまでも、縁ある人に助けられ、たくさんの人に迷惑をかけ、時には人を傷つけ、傷つけられたりもしたが、よくここまで生きてこられたと実感している。何らかの力がそうさせているとしか言いようがない。まさに奇跡としか言いようがない。人はそれを’神’と言うのかもしれない。

そんな僕が歩んできた軌跡を思いつくままに、思いのままに、好き勝手に、書き綴っていこうと思う。

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