シタール奏者 伊藤公朗

1953年、愛媛県の禅寺に生まれる。外国人で唯一、 ヒマラヤの聖者であり音楽修行僧のナ…

シタール奏者 伊藤公朗

1953年、愛媛県の禅寺に生まれる。外国人で唯一、 ヒマラヤの聖者であり音楽修行僧のナーダヨギ・D.R.Parvatikar師の教えを受け継ぐシタール奏者。多方面でインド音楽の深淵さを伝えている。著書『ヒマラヤ音巡礼』鳥影舎出版

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プロローグ~伊藤公朗人生の反省文~

ウグイスが鳴き始めた春のおとずれ、久しぶりの雨が僕の心に潤いをもたらす。 庭のテーブルには、昨日、孫娘たちが摘んできたタンポポとツバキの真っ赤な花の、雨に包まれた鮮やかな色が、より一層際立つ。目の前に広がる光景は、愛媛の山間にある小さな禅寺に生まれ育った僕に、やっとここまで生きてきた、そして、あっという間にここまで生きてきた、という思いを、心に投げかけてくる。 人生というのはわからないものだ。昨日は黒だったものが、今日には白になっていたり、反対のこともある。もはや何が正解

    • 【第24話】R画伯との思い出その②

      R画伯はうちからもらってくれた、ロン毛の猫『オイ』と、雑種の犬『サクラ』と生活していた。 そして、彼の家の床下には、数年前からアナグマも住んでいた。 ある日、R画伯は食料の買い物を済ませ、家に戻ると玄関の戸が開いていた。台所に入ると、冷蔵庫のドアも開いていて、中の食料が全てなくなっていて、その周りには食い散らされた残骸が残っていた。とばっちりを受けたのは猫のオイで、こっぴどく叱られていた。 それから数日したある日の夕方、R画伯はいつものようにテレビを観ながら晩酌していると、玄

      • 【第23話】ご近所だったとある画家との思い出

        下の息子が中学校に入学するのに合わせて、10年住んだ棚の川から松本に引っ越すことになった。松本市にある浅間温泉から車で10分ほどにある山の斜面の集落の中にある1軒家。2階建ての大きな家であった。その家はほとんど修理しなくても住める家だったが、1階と2階にある40畳の広さの2部屋だけは、もらってきたフローリング材を張った。同じ集落に住んでいた、とある画家であるR画伯がその家を世話してくれた。 集落の下を走る国道を走っている時、R画伯の自宅の土蔵に描かれた仏画が目に留まり、訪ね

        • 【第22話】住所が存在しない家

          棚の川の大家さんの家を借りられるようになり、これから家の改装を始めようと夢を膨らませていたある日、信州新町の役所から3人の職員が訪ねてきた。 誰から聞いたのかわからないが、棚の川の家の事で来たようだ。 職員が発した第一声は 「伊藤さん、あの家には住めません。」 であった。 理由を訪ねると、ひとりの職員がその訳を説明してくれた。 僕たちが住もうとしていた棚の川という村は、毎年冬に大雪が積もる場所で、除雪の作業が大変で経費がかかり過ぎるため、町中の小高い所に住宅を用意して、棚の

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          【第21話】山奥に見つけた民家

          今回は飛んで、インド修行から帰国後、家族を連れて信州の山奥に移り住んだ時の話をしたいと思う。 約8年間のインド修行を終えて、バックパックとシタール1本を持って、連れの美郷とまだ幼かった息子たちを連れて、僕たちは長野県に移り住むことになった。 知り合いの伝手を借りて、信州の松本に近い坂北村に仮住まいの家を借りることになった。車の免許がなかった僕は、まず免許が必要であった。坂北村には電車が通っていて松本まで30分程で行けたので、松本の教習所に通い、無事に免許をとった後、中古の軽バ

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          【第20話】村のお祭り

          今回は、僕が育った愛媛の小さな田舎町で行われていた、村のお祭りを3つ紹介したいと思う。 当時は季節ごとに何かしらのお祭りが地域全体で行われていた。 もちろん大人も子供もみんなで参加する。 昔は娯楽が少なかった分、お祭りは非日常を味うものとして、大人も全力で楽しんでいた。

          【第20話】村のお祭り

          【第19話】霊能者との出逢い

          今から10数年前、あるお坊さん(大学教授もされていた)が主催される『いのちの集い』という集まりが不定期にいくつかの寺院で行われていた。お話が楽しくテーマは仏教をはじめ、禅について、新興宗教とは、人の生き方など、ひとつのテーマに縛られることなく、何の話が飛び出すか毎回わからないのが面白く、何度となく顔を出していた。 そのお坊さんと顔なじみになったある集いで、彼が僕に 「多摩の百草園というところにS様という女性がお住まいなので、ぜひお会いしてきて下さい。」 と言い、名前と電話番号

          【第19話】霊能者との出逢い

          【第18話】花まつり

          毎年4月8日はお釈迦様のお誕生日をお祝いして「花まつり」が全国の仏教寺院で行われる。灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)などと呼ばれる名もいくつかある。 小さなお釈迦様(高さ15cm程)の立像に甘茶(アジサイ科の不思議な甘さのお茶)を柄杓で頭からかけてお祝いする行事である。物心ついた頃から、4月8日はたくさんの人で賑わう楽しいイベントとして、その日が来るのが待ち遠しかった。

          【第18話】花まつり

          【第17話】初めてのデート

          僕が高校に入学した当時は、まだ道も塗装されていなく、宇和島にあるその高校に行くにはバスで1時間半程かかった。僕の兄と姉が下宿生活をしたように、僕も親戚筋にあたる禅寺に下宿をして、そこからバスで高校に通った。家を離れた生活を送るのは初めてだったので、最初のうちは寂しい思いもしたけど、それもすぐに慣れてきた。 高校1年生の時は、まだ慣れないこともあり大人しくしていたけど。2年、3年になると、授業をサボって友達と喫茶店(当時は純喫茶とよばれていた。アルコールを置いていない飲食店のこ

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          【第16話】テレビがなかった時代の身近な娯楽といえば

          僕が子どもの頃にはまだテレビもなく、当時の娯楽といえば映画とラジオだった。 我が家にテレビが入ったのは僕が小学4~5年生のころだったように思う。 どんな田舎の町、村にも、映画館はあった。当時の映画といえば、ほとんどが時代劇であった。役者さんも、今ほど多くは居なかったので、主人公や脇役はいつも同じ顔ぶれだった。 映画のストーリーは、善人、悪人とはっきり分かれていて、正義の味方が悪い奴を成敗するという内容。最後は富士山をバックに歌も歌いハッピーエンド。シーンが変わるたびに主人公の

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          【第15話】昔の生活スタイル 『Vol.2 トイレ事情』

          当時のトイレは100%汲み取り式、通称“ボットン便所”だった。当たり前だが臭かった。しかし臭いにおいには目をつむることはできても(目をつむっても臭いけど。この場合、鼻をつむる?)、どうしても目をつむって見過ごせないものがあった。それは、ほぼ全人類が嫌がるであろうウ○コの“跳ね返り”だった。これがかの有名な通称“オツリ”である。。。

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          【第14話】昔の生活スタイル 『Vol.1 井戸水と囲炉裏』

          1960年代、僕の田舎では各家々に井戸があり、生活に必要な水はすべて井戸水で賄っていた。中には何軒かで1つの井戸を共有している家もあった。井戸の深さにもよるが、ロープのそれぞれの端に水を汲み上げる桶が取り付けられていて、井戸の上部に取り付けられた滑車にロープを渡し、片方の桶を井戸水の中まで落とし入れ、桶に水が溜まるともう片方の空の桶側のロープを下に引き、水を汲み上げる。井戸水の水位が低いと、水汲みに必要なロープも水位に合わせて長くなるが、水は自然に湧くので、基本的には水位は常

          【第14話】昔の生活スタイル 『Vol.1 井戸水と囲炉裏』

          【第13話】授業中

          僕が中学生の頃は、先生も生徒も人間丸出し(良いも悪いも)で、いつも本気でぶつかっていた。現在のようにスマホも無ければインターネットもないし、子供にとっての世界は、家か学校か、親か先生か、ほぼこの二つの世界しかなかった。 多くの子は親と同じ仕事に就くことが当たり前であったし、家業を継ぐために勉強を諦めるなんてことも当たり前だった。勉強する時間があるならば家業を手伝え、なんてことも当たり前。 そんな時代なので、子供達の世界観はとても狭いし(悪い意味ではない)、他の世界のことなんか

          【第12話】遠足

          僕にとって小学校の頃の一番の楽しみは遠足だった。その日は給食ではなくお弁当、と言うだけで、もはや右に出る者がいない程、マズイ給食を食べさせられていたものだ。学校給食といえば脱脂粉乳(牛乳と呼ばれていたがとんでもない代物で鼻をつまんで飲んでいた)とおかずとコッペパン(これまたマズイ)が定番メニューであった。今にして思えば、とても成長盛りの子供達に食べさせる食事ではなかった。コッペパンなんかは本当にマズくて、僕は全部食べたことはほとんどなく、いつもランドセルに放り込んで帰りに捨て

          【第11話】伝説の男シリーズ。その名も『火星人』

          伝説の男『国男ちゃん』に匹敵する程のおバカ男子が今回の話の主役。その名も『火星人』。 そんな火星人にまつわるエピソードと、当時の小学生たちの間で流行ったものから、斬新だった僕のハイカラなヘアースタイルまで、今では色々と考えられないことが昭和時代には起きていた。

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          【第10話】これぞ食育

          野山を駆け巡って泥んこになって遊ぶのは、当時の子供達には日常の中の当たり前の光景であった。男子はみんな小さなナイフ(肥後ナイフと呼ばれる折りたためるタイプのもの)を持っていた。このナイフ一つあれば竜玉鉄砲 (タマリュウという植物の青い実を鉄砲の玉にして飛ばすおもちゃの鉄砲)も、弓矢も、隠れ家も、魚を獲るヤスも、鳥を獲る罠も、このナイフ一つで何でも作ることが出来た。 山に入る時には、塩を紙に包んで持っていき、遊び疲れてお腹が空いた時にはイタンポ(イタドリ)、シンコ(スイバ)な

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