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【第21話】山奥に見つけた民家

今回は飛んで、インド修行から帰国後、家族を連れて信州の山奥に移り住んだ時の話をしたいと思う。
約8年間のインド修行を終えて、バックパックとシタール1本を持って、連れの美郷とまだ幼かった息子たちを連れて、僕たちは長野県に移り住むことになった。
知り合いの伝手を借りて、信州の松本に近い坂北村に仮住まいの家を借りることになった。車の免許がなかった僕は、まず免許が必要であった。坂北村には電車が通っていて松本まで30分程で行けたので、松本の教習所に通い、無事に免許をとった後、中古の軽バンを手に入れた。
その後、村の教育長さんが僕たちが住むための借家を手配してくれた。家賃は年間1260円(固定資産税分のみ)。窓がたくさんある家だったが、ガラス戸が1枚もついていないという家だった。

その頃、村会議員選挙期間中だったこともあり、立候補を表明していた、村の雑貨屋のおっちゃんに
「選挙よろしくたのむね!」
とお願いされた。
「わかりました!カミさんと2票まかせといてください!」
と笑顔で返してから
「ところで、ガラス戸と畳、どこかにないですか?」
とさりげなく伝えといた。
翌朝、早くに家の前にトラックがやってきた。余るほどのガラス戸と畳が積まれていた。
雑貨屋のおっちゃん!ありがとう!
僕は生まれて初めて投票に行った。(しかもその選挙は不正選挙だった。)
めでたく当選した雑貨屋さんのおっちゃんに、買い物がてら
「おめでとうございます!」
と伝えに行ったら、ドヤ顔でニコニコ笑っていた。
 
それから約2か月くらいかけて、家直しに専念することになる。
初めての大工仕事だったが、何とか住めるようになった。長男の快は坂北保育園に通い始めた。
新居(ボロボロだったけど)に住み慣れ始めたある日、カミさんの美郷が突然
「公朗、この家に何かいる!別のところに引っ越そう!」
と言ってきた。
彼女は目に見えないものを感じたり、霊感が強いタイプだった。

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