ある母と子のそれぞれの旅立ち
ほんの感想です。 No.51 林芙美子作「水仙」 昭和24年(1949年)発表
林芙美子の「水仙」は、敵同士のような母と子の子離れ、母離れが描かれています。昭和24年発表と知り、驚いてしまうほど、描かれた母子の様は現代的でした。
夫が失踪した後、女手一つで息子を育ててきた主人公。その半生は、色々な男を綱渡りして暮らしを立てる、危ういものでした。そんな母を、息子は「子不孝だ」と言います。そして、自身のだらしなさ、ダメさを認めた上で、「そんな風にママが育てたんだから仕方がないよ」と言って、母を泣かせるのです。
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四十三歳のたまえは、二十二歳になる作男という息子に就職を仕向けるのですが、成功しません。
作男は、中学生の頃、自分に「姉さん」と呼ばせ、泊まり歩く母に深く失望しました。しかし、学校での集団生活になじめなかったことから、彼は、現在まで、嫌いな母に依存する生活を送ってきたのです。
そんな母子の仲は、最近、益々悪化しています。連れ込みホテルで働き出したたまえは、ホテルへ来る闇屋の仲間に入り込み、舶来のクスリの売買をするようになりました。そうやって一息つけるほどの貯えを作ると、それを作男が使い果たしてしまうのです。そうした険悪な状況から、たまえは、時々、息子に殺意すら感じるようになったのです。
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ある日、作男は、たまえに、「北海道の炭鉱の事務所に誘われている」という話をします。作男は、母に、「引き留めてくれ」と言わんばかりに、次の言葉を口にします。
「ママは、俺がそんなところへ行けば嬉しいだろう。厄介払いができるしね・・・・」
「美幌へ行けば、死にに行くようなもんだ・・・・」
一方、たまえは、その日、交際する男が妻と旅行中であると知ったためか、作男に、次のように心情を吐露し、これまでの生き方に自信を失ったかの様子を見せます。
「ママ、とても淋しいよ。ママのこの淋しさサクには解ンないだろうけど・・・・ママ、今日とても厭な気持になっちまったわ。ママは勝気だから随分損をして暮らしたけど、なんだか生きてるの厭になったなァ。・・・・もう、どんどん汚くなってゆくし、昔の元気はないね。サクは男だから男の気持ちは判るだろうけど、男って無情なもンだね」
それから二日ほどして、作男は、北海道行きの支度をしたのです。
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作男の出発の夜のこと。「ママは、かっとなって死にたくなるときもあるから、ママに変わったことが起きても、サクは、帰らなくていい」と言う母の言葉に、息子は、あごでうなずきました。
その後、息子と別れた、たまえは、自由を感じ、年若くなったようにさえ感じるのです。
こんな母子を書いた林芙美子について、とても興味を覚え、もっとその作品を読んでみたいと思いました。
ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。
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