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黙っていればよかったのに

ほんの感想です。 No.24 堀辰雄作「曠野」昭和16年(1941年)発表

堀辰雄作「曠野」が描くのは、かつて愛し合った男女の再会がもたらした悲劇。調べてみると、今昔物語集巻三十第四話を翻案した作品とわかり、両者を読み比べてみました。

オリジナルの今昔物語と「曠野」の大筋は、概ね、次のようになります。
・ある貧しい貴族は、一人娘に婿を迎えて、その男を大切にした。
・貴族とその妻が亡くなると、その家は、急速に困窮した。
・夫に、宮仕えに相応しい支度ができないことから、女は男から身を引いた。
・その後、女の境遇は変転し、とうとう近江の郡司の婢となった。
・新たに赴任した国守が、その婢に関心を持った。
・婢である女と国守が相対する場面で、悲劇的事件が起きた。

今昔物語集の話には、最後にコメントが付されていて、悲劇的な内容に対する、コメントの素朴な温かさが、印象的でした。

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オリジナルの話は、「珍しい話があるんだよ」という感じのおもしろさがありました。これに対し「曠野」には、たっぷりと栄養を与えられ登場人物たちが、存分に、その喜怒哀楽を伝えてくれた、そんな読後感がありました。

特に、女と男が次第にすれ違っていく様。互いに相手を大切に思うがゆえに悩むのですが、それぞれの価値観の違いから、相手の悩みを十分に理解することができません。そんなすれ違いから、二人の人生が離れてしまう。その状況が、書き込まれていると思いました。

例えば、女は、「夫に十分な支度をしてやれない」ことに悩みます。男の幸福を考えて、ほかの女を妻とすることを勧めるのは、妻問い婚ゆえに、男に対する責任を感じてしまうのでしょうか。それとも、彼女の性格なのか。

一方、男は、「妻が自分のことは構わずに、夫のことばかりを構おうとしていることが窮屈だ」、と考えるのです。「もっと俺に頼ってくれよ」、という思いの表れのような気がします。

相手のためとの考え、あるいは妻としての責任感から、身を引いた女は、その後、その行動が自分の心に反していたことを知ります。

「あの方さえお為合せ(おしあわせ)になっていて下されば、わたしはこのまま朽ちていい」

そう思っていたのに、ある日、自分が、「見る影もなく痩せさらばえて、あさましき姿になった」ことを自覚し、恥ずかしさから二度と男には会えないと絶望するのです。そして、一度絶望した人間が、もう一度、絶望しなければならない。「曠野」は、そのような物語でした。

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ここまで「曠野」について考えた後、今昔物語の話のコメントを読み直したくなりました。そこには、次のようなことが書かれています。

その女性は可哀そうなこととなりました。男性が、彼女の気持ちを考え、自分が夫だということを黙っていれば、あのようなことにならなかったのでしょうに。黙って養ってやればよかったのだと思いますよ。

誰かが、どこかで、誰かを、心配してくれている、そんな気がしました。

ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。

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