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「団栗」は、彼女の記憶へと導くための企て

ほんの感想です。 No.34 寺田寅彦作「団栗」 明治38年(1905年)発表

初めて読んだ寺田寅彦作品は、「団栗(どんぐり)」。そのタイトルからは想像もしなかった、若くして亡くなった妻を偲ぶ物語でした。文庫版で9頁の作品に、男の、妻を慈しむがゆえの愛別離苦と、幼子に妻が生きた証を見出す思いが、ずっしりと詰まっています。

そして、読了後、作品には書かれていなかった物語を探したくなりました。

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「団栗」は、寺田寅彦の実体験を踏まえて描かれています。それについて、「日本近代短編小説選・明治篇2」の「団栗」の紹介文は、最初の妻夏子との短い結婚生活やその死など、痛切きわまりない実体験を、作者がこの作品に昇華させた旨を記しています。

「昇華」は、もともと精神分析の用語です。この言葉に、紹介文が込めた意味を、勝手ではありますが、次のように推察してみました。

「妻の死による愛別離苦を、人々に共感してもらえる心の経験として、小説化したこと」

さらに、寺田寅彦は、どういうプロセスでもって、つらい経験を「団栗」として昇華させたのか。勝手ながら、次のイメージを思い描きました。

・妻に関する記憶を、喜怒哀楽や好悪の項目で仕分けする。
・「妻の記憶」として、最も相応しいテーマを決める。
・テーマに最適な構成を決める。
・エピソードを選ぶ。

この想像をしていて、「寺田寅彦は、書かないことで、読者が自然と、妻夏子の存在を意識せざるを得なくなる、企みを施したのではないか」と思えてきました。

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寺田寅彦の「企み」。そうを感じた個所は、主人公が、幼い娘が夢中で団栗を拾う姿に、生前、身重の身体で、楽し気に団栗を拾っていた妻の姿を重ねていた、次の場面です。

余はその罪のない横顔をじっと見入って、亡妻のあらゆる短所と長所、団栗がすきな事も折鶴の上手な事も、なんにも遺伝して差支えはないが、始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、この児に繰返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。

「始めと終わりの悲惨であった母の運命」について、「団栗」では、「終わりの悲惨であった運命」しか読み取れないのです。となると、「始めの悲惨であった運命」とは何なのか。そもそも、寺田寅彦と夏子の馴れ初めは、どうだったのか。結婚生活は、どうだったのか・・・・。もう、好奇心が止まりません!

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この好奇心を寺田寅彦に仕向けられたと考え、彼の妻夏子への思いの深さと考えることは、ロマンティックに過ぎるでしょうか?

ちなみに、インターネットのお陰で、夏子とされる画像を目にすることができました。そこには、魅力的な目を持ち、十四歳というには、大人びた美しい容姿の女性がいました。

ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。

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