お鮨を食べて、私を慰めたい。
ほんの感想です。 No.52 岡本かの子作「鮨」 昭和14年(1939年) 刊行
岡本かの子の「鮨」は、鮨屋の娘が、偶然、常連客の男から、鮨にまつわる身の上を聞くという物語です。「表面だけは世事に通じ、軽快で、そして孤独的なものを持っている」という娘と、「親兄姉を亡くし、妻とも死別し、一所不定の生活を送っている」初老の男。
二人がそれぞれに放つ孤独感は、ボーっとしたもので、当初、強く感じたわけではありません。しかし、読み返してみると、彼らの寂しさが共鳴し、「この二人だけではなく、たぶん、皆、それぞれに寂しいのだ」などと思ってしまいました。「お鮨を食べて、自分を慰めたい」。そんなことを思った作品です。
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「福ずし」は、今の主人が、前の持ち主から買い取ると、その腕の良さで、たちまち繁盛します。夫婦と娘の三人で営んでいた店は、新たな職人と、子供と女中を雇うほどになりました。
そんな店の雰囲気は、例えば、次のように描かれていました。
一つ一つ我がままがきいて、ちんまりした贅沢ができて、そして、ここへ来ている間は、くだらないばかになれる。好みの程度に自分から裸になれたり、仮装したり出来る。たとえ、そこで、どんな安ちょくなことをしても云っても、誰も軽蔑するものがない。
「福ずし」の娘ともよは、客たちに抵抗なく応対し、「女の子らしい恥らいがない」と女学校の教師を心配させたこともありました。しかし、「常連というグループはあるけれど、それを構成する客たちは、いつかは変わる」、ということを考えてしまう女性です。
彼女がそういうことを考える背景には、「父と母は、生活の必要性から協調しているだけで、気持ちはめいめいに独立している」ことに感じる孤独がありました。
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そんなともよは、五十歳を超えたとみえる湊という常連客に関心を持つようになります。
ある日、ともよは、偶然に会った湊に、思い切って尋ねてみました。
「あなた、お鮨、本当にお好きなの」
その問いに、湊は、「鮨を食べるということが慰みになる」と答えます。そして、家族に「おかしな子ども」と言われていた幼少時から、次のような半生を語りました。
・子どもの頃、食事が苦痛で、炒り卵と海苔だけを口にしていたこと。
・ある日、家で、母が鮨を握り、息子に根気強く勧め、食べさせ、その美味しさを教えたこと。
・没落が始まっていた家が完全に潰れ、その前後に父母や兄姉が亡くなったこと。
・二度目の妻が亡くなった後、投機で儲けたのを機に、一所不定の生活を始めたこと。
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ともよと湊だけでなく、描写が少ないにも関わらず、彼らの両親についても、印象深い描写があります。たぶん、「鮨」は、読む人の立場や状態により、いくつもの着目点があると思われます。よろしかったら、ご一読してみてください。
ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。
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