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ウクライナ危機のかたわらで「日本の軍拡・核武装」が話題に上り始めているのは実に剣呑です。

      写真:左から東条英機、小磯国昭、鈴木貫太郎、東久邇稔彦王

 ロシアによるウクライナ侵略が始まって、日本の政治家や評論家の剣呑な発言が増えています。その典型は日本の「核武装論」や「核共有論」でしょう。とくに後者は、持ち込まれた核兵器の制御を「アメリカに一任せざるをえない」という実に馬鹿馬鹿しいものです。

 そこで思い出すべきは「憲法9条」の力です。仮にウクライナに「憲法9条」があって「厳密に守られていた」とします。と、ロシアの侵略はなかったはずです。今もプーチンの停戦の条件は「ウクライナの非武装化と中立化」なのですから……。

 無論ロシアのウクライナ侵略は許されざる犯罪的行為です。即座に無条件に停戦すべきです。ただ、ロシアの侵略行為を見て、より強固な武装をめざすのは、いたずらに国家間の緊張を高め、自らを危険にさらす愚かな選択なのだと考えざるを得ません。

 そこで現代日本の軍事への対応を眺め返すと、これ以前にも剣呑な動きがありました。その最大の出来事は2015年の「平和安全法制」を名乗る「戦争法制」の成立です。結果、日本の自衛隊は米軍の指揮下での戦闘への参加を強いられることになっています。
 ただ、1945年の敗戦以後、憲法9条があるのに、すでに日本はアメリカの戦争に参戦してしまっています。そのひとつは2003年から8年間も続いたイラク戦争の際に米軍への燃料補給をになった兵站としての役割です。これ自体も戦争参加なのですが、「戦争法制」は軍事行動への、より直接的な参加を強いることになるでしょう。

 そこで前世紀における日本の戦争体験を振り返ってみます。すると、大日本帝國憲法のもとでの内閣の総理大臣は、初代の伊藤博文から幣原喜重郎まで44代を数えたうち22人が軍人でした。
 とくに1941年から1944年まで続いた東条英機内閣のあと、第二次大戦終結まで小磯国昭、鈴木貫太郎、東久邇稔彦王といった軍人が務め、1945年8月15日に日本は敗戦を迎えたのです。

 その過程では東京や大阪、広島や長崎をはじめ、少なからざる日本の都市が廃墟になりました。で、国民の多くが着の身着のまま、まともに食事さえ摂れない悲劇的な状況に置かれました。
 こうした結果は1894年開戦の日清戦争、1904年開戦の日露戦争での勝利に酔った日本が調子に乗って1937年の日中戦争や1941年に第二次大戦に参戦した結果にほかなりません。

 では、どんな過程を経て、愚劣な戦争を始めることになったのか。改めて捉え直しておくことが必要なのではないかと思います。
 むろん「文民統制」など、薬にしたくともありえなかった戦前の政治状況は、現代の日本とは異なるのでしょう。が、そうした状況下で1920年代半ばに本格化した戦争への道筋を「出来事一覧」として捉え直しておくことにも多少の意味があるはずだと思います。

「治安維持法」制定から「国家総動員法」成立までの出来事一覧
 1926年……「国体の変革と私有財産制度の否認を目的とする結社や行動を処罰する」ための「治安維持法」制定
 1927年……「日本の男子国民すべてに兵役の義務を課す、富国強兵の根幹を支える法律」として「兵役法」制定
 1928年……「治安警察法」により労働農民党・日本労働組合評議会・全日本無産青年同盟を解散。
 関東軍が奉天軍閥の指導者・張作霖を暗殺。
 国体護持のために無政府主義者・共産主義者・社会主義者、および国家の存在を否認する者や過激な国家主義者を査察・内偵し、取り締まる秘密警察としての特別高等警察を全都道府県に設置
 1931年……柳条湖事件が勃発。関東軍が南満州鉄道の線路を爆破したが、それを関東軍は中国軍の犯行と発表。「満州事変」という名の関東軍による中国東北地方への侵略戦争が始まる。
 1932年……第一次上海事変。中華民国の上海共同租界周辺で起きた日中両軍の衝突。戦死者770人、負傷者2300人以上の被害。
 1933 年……ヒトラーがドイツ首相に就任、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)政権が成立。
 国際連盟が日本軍の満洲撤退勧告案を42対1で可決。松岡代表退場。日本は連盟を脱退。
 1934年……「満州国」で帝政実施、執政溥儀が皇帝となる。
 1935年……「天皇機関説」の美濃部達吉を不敬罪で告発。著書『憲法概要』など発禁。
 1936年……「2・26事件」発生(陸軍青年将校ら1483名の下士官・兵を率いて蜂起し、政府要人を襲撃。一部が自決。
 ナチスドイツを絶賛する夏季オリンピックがベルリンで開幕。
 「日独防共協定」に調印。翌年「日独伊防共協定」となる。
 1937年……日本の国体の正統的な解釈の教科書『国体の本義』発行。神勅や万世一系を強調(1945年、『臣民の道』と共に発禁)。
 盧溝橋事件(盧溝橋で日本軍と中国国民革命軍が戦闘)。
 戦艦大和の製造に着手。
 南京事件(日本軍が南京を占領。多数の中国軍捕虜、敗残兵、便衣兵および一般市民を殺害、暴行、虐殺、強姦、略奪、放火)。
 1938年……「第二次人民戦線事件」(前年の「第一次」に続き、反ファシズム統一戦線の呼びかけに呼応した山川均・大内兵衛・美濃部亮吉ら労農派教授グループ約30人が検挙。これを契機に日本共産党に限定されていた検挙が非共産党のマルキスト・社会主義者一般に拡大。治安維持法の目的遂行罪が拡大解釈されて適用された。
 「国家総動員法」施行。世情は戦争一色に。続きは来週末に

         上記の「出来事一覧」の続きは来週末に掲載予定です。

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