まずは、ここからダラダラと
なにもしない時間が常に目の前にある。
誰にも咎められず、蔑まれず、配慮など皆無。
そんな時間が控えめに言ってサイコーですが、そんな生活を半年も続けていると暇は確実に何か見えない、心の綿菓子みたいなフワフワした甘いものを溶かしてゆく感じがしないでもない。。
少し寂しさも混じりつつ。
なのでそんな時は「なんかやってる感」を科すために、掃除をしたり、フィットボクシングをしたりしなかったり(暑すぎて。。)、コメダでMacBookを開いたり、オーディブルで本を聞いたりして“サイコー”を享受している風を醸し出したりしている。
その一環で適当に映画を眺めてその時の感情、感覚をテキストにして残してみようと思う。なぜなら忘れるから。すぐに忘れるから。
観賞したことすら忘れるから。
初老は恐怖。。でも何度見ても初見の感動が蘇るので初老サイコー。
映画論的な感想や手法、役者の演技がどうこうなどに詳しくありません。
雑感ベースです。
ガクなし、イミなし、オチなし「ガイオ」な雑感。なんだそりゃ。
ここまで適当に書いて読み返して思いました。
なんてことでしょう、村上春樹を読んだ後の出涸らしの出涸らしの出涸らしみたいなテキストになってます。
最悪です。
それもこれも村上春樹をTOPに置いておくオーディブルが悪いんです。
嘘です「これ持ってたらイケてるように見えるかも!」で本屋でいつもあえてのハードカバーを買ってしまう自分の心の弱さが悪いんです。
許してください。ごめんなさい。
ゴヤの名画と優しい泥棒(The Duke)
Amazon primeで常に目につくところに鎮座遊ばされていた2020年のイギリスのコメディ『ゴヤの名画と優しい泥棒』(The Duke)を鑑賞。
監督は本作が長編劇映画の遺作となるロジャー・ミッシェル。「ノッティングヒルの恋人」の監督さん。遥か太古の昔に観賞済みですがビタイチ覚えてません。
うっすら、おもしろかった、、きおく、が、、あ、、りま、、す(リスペクトチャーリー・ゴードン)
イギリス映画って地元での上映本数の影響かあまり馴染みがなく「ザ・コミットメンツ」や「フル・モンティ」、「28日後/28週後」くらいしか記憶にない。
あとなんだっけ、メタ的なドタバタ刑事物、宇宙人ものを見た気がしますが忘れた。今度意識高い系のオルタナ系映画館漁ってみます。
どれも基軸に皮肉っぽい視点があったような、なかったような苦味を感じるあと残り感。魚のワタみたいな映画ばっかな雑印象。
1961年に実際にあった絵画泥棒の話を基軸に、家族、特に奥さんとの関わりと世相を交えた義賊的の話をポジティブなシニカル(成り立つよね?)さで力技で描写してゆくイギリスらしい作品に感じました。
お父さんの愛すべきバカボンパパっぽさがほんとよくて、息子二人も結構なボンクラ(特に次男!)奥さんが家族の生活の支柱になっていてそれぞれの関係性に敬意を感じるところがまた良い。文化的な階層的ななんかあるんだろうな〜知らんけど。
お父さんは公益のために公共放送の受信料を無料にするための活動と、自作の戯曲を舞台化(ドラマ化?書籍化かも)するために懸命になっていて、対人関係も自らの哲学にそぐわないことには一切妥協せず、損してでも突きはねる気概の人。
奥さんは旦那の不誠実に見えるやらかしあれこれにうんざりしながらもなんだかんだ最後は支えていく愛情or諦観。
やらかしを誤魔化すためかなんなのか、個人的には通常運転だと思いたいのだが、キッチンで夫婦で踊るシーンがサイコーすぎます。白飯三杯いけます。
無自覚なボンボンクラクラ次男はなんだかんだとーちゃん大好きで、理不尽な活動を手伝ったりやらかしたり(お前マジで?うそでしょ?感)
お父さん、クライマックスでの検察、弁護士、判事とのやりとりがエンタメ全振りでサイコーでした。脚色だらけかもですがイギリスならあるかもって全騙しでもオッケーです(片目閉じサムズアップ)
原題が「The Duke」だって。絵のモチーフが公爵だからってことのようだけど労働者階級の上にあるこう、なんというか、どうにもならない壁とか霧とか見たいな階層にもどかしさを感じつつ。
日本だと『あのこは貴族』見たいな表現になるんかね(適当)。
これもヒヤッとおもしろかった。