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親の血と私と成長期
母は大変に気が強いと思う。
昔の写真を見ているとなかなか器量の良い方だったと思うが、それでも例えるとすれば『怒っている薬師丸ひろ子』という感じにとても近い。
セーラー服と機関銃のいかつい目をした彼女がそれである。
ところで、万年不仲な両親が離婚していないのは気とメンタルが強い母のおかげといっても過言ではないだろう。
両親は2人とも普通ではないと思うが、その矢印がお互いに違う方向を向いているので、相性としてはかなり悪い。
幼少期から夫婦喧嘩を頻繁に見ていて、
あの頃には分からなかったがあれはお互いに自分が正しいと思っているから喧嘩が絶えないのだと気が付いた。
母は自分の母、つまり私の祖母の生き様を見ているので、典型的な亭主関白の父ともなんとかやっているし、家事もセカセカとやっている。
でも多分、目で見て覚えた女という像とは違い、本当の母は一歩後ろを下がるタイプでは無いのだ。
よく考えたら喧嘩でどちらかが謝っているところを一度も見たことがない。一度もである。
もっと凄いなと思うのが、モラハラ気質の父に意味の分からない内容で夜中まで説教されても、母は泣きも自分を責めもしないのだ。
これがもし、母が気を病んだり下の立場になって項垂れていたら、我が家はもっと悲惨な形で崩壊している。
そして私はボンヤリと思っていた。
私は母に似てないよな、と。
友達に親の話をすると、「そのぶっ飛んだ親から木ノ実のようにまともに育ったのは奇跡だ」と言ってくれることがある。
例えば元彼たちは気が強い方だったが、理不尽に怒られたり大声を出されると言い返せなくなり、私は泣きながらダンマリを決め込むことが多かった。
会社でもそうである。
威圧のある人に少し怒られたり、ヒステリックな人が心底苦手ですぐに気を病んだりしてしまう。
まあでも、パート先でお客さんと小競り合いしてしまうような母みたいになりたい訳ではなく、
私は私らしく女の子らしさをかたどっているつもりだった。
それが最近、私の心の中から気の強さが頭角を表し始めた気がするのだ。
そういえば今の彼氏と言い争いをするとき、私は口答えをするようになったと思う。
自分の中に理由や正義があって、それを主張するようになった。
会社で後輩に注意するときも、前までは「言いづらいし言わんでもええか…」と思っていたことも「今言わないと気付いてもらえない」と思い口にするようになった。
母の血を強く感じてゾッとした。
母もそうだったのだろうか?
家族と頻繁に会わないし、実家を離れてから良い距離感を保っているのに遺伝子の中にはしっかりと潜んでいるのだ。
私は母のことを心から憎んでいる訳ではないし、
尊敬出来るところも勿論あるが
普通じゃないよなと思っている母に似たいと思ってはいなくて、
意識せず行動している部分に血を感じた瞬間が怖かったのだ。
それなら一体、性格の形成はいつ頃完成するのだろう。
女の子らしさを重視していた私はいつの間にか思春期を終え年頃の女性からアラサーに近付いた頃(アラサーもまだまだ年頃だと思っているが)恥じらいが減り、
その間にコロコロと人間性が変わっている。
隠れていた部分には母の気の強さや、他にもきっと気付かなかった自分の新たな一部分が出てくるのだ。
人生経験かもしれない。
沢山の他者に触れて、良い部分や悪い部分を感じて、経験を自分の中に吸収しているのだ。
最近自分のことを分かり始めたと思っていたところだ。
大体の自分を把握して
「私はこういう性格だからこうした方が良い」とか、会話の中で受け身だって取れる様になってきた。
受け身とは凄いもので、これが自己犠牲では無くなった瞬間にコミュニケーション能力が上がる。
私は自分のことを分析出来て、ようやく上手いこと人間関係を築ける様になった。
しかしそれはまだ思い込みの様である。
私は自分のことを分かっていない。
分かっていないどころか、まだ性格は成長期を終えていないのだ。
知った気になるのは恐ろしいことである。
気づかずに親の血を引いてることも、恐ろしいことである。
しかしだからこそ、他者とのコミュケーションを続けて成長期らしく吸収しなければいけないのだ。
血だけで人間性を作ってはいけない。
自分らしくなる為には、吸収するのだ。
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