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私というカンパニー

危機管理能力が乏しいので、あらゆる場所で痛い思いをする。
怪我という意味で痛かったり、
出来事として痛い目をみたり、である。
もしも頭の中で会社のようにいろいろな部門が存在するとして、危機管理部門があれば万年人員募集といったところだ。募集ポスターも長年貼りすぎて風化していることだろう。

例えば後者でいうと、会社の中で超大切なデータを池に落としたことがある。
もう一度言うが、会社の中の出来事である。
同じ経験をしたことがある者が一体世の中に幾らほどいるだろうか。
原因は明白で、『大事なデータを水の周りで出したらどうなるか』という単純明快な危険性をすっかり忘れていたからである。
阿呆とはまた違う。危機管理能力が無いのだ。

私は幼少期からこんな調子で、思い返すと冷や汗もんな出来事が多々ある。
休日家に引きこもっている今からは想像つかないが、
私は放課後下駄で遊び回り、よく分からない蔦を引きちぎって縄跳びをするようなヤンチャなガールだった。
そんな奴が危機管理能力も持っていないのだから、生きているのが不思議なくらいである。
『無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている」点で言えば坊ちゃんと同じだとも言えるだろう。
今だから言えるのだが、幼稚園くらいの年齢の時に車道を自転車で逆走していたことがあったそうだ。
これは親からの語種となっていて、学生時代の私は「ふーん、そんなお転婆だったのね」ってなもんだった。今思えばめちゃくちゃ怖い。生きてて良かった。

記憶にあることも幾つかある。
これも小学生くらいの頃だが、集合住宅の駐車場には『そり立つ壁タイプ』の石造の駐車場があった。壁だが、上に昇れば歩く幅があった。
今思い出すだけでも怖いのだが、ザッと3、4メートルくらいの高さの壁は両端から傾斜状に上れるようになっていて、フェンスも無い50cmくらいの幅を行ったり来たりして遊んでいた。
何故上れる造りになっているのか今思えば謎ではあるが、近所のおばちゃんに「危ないよ」と言われても、心のどこかでは「何で?」という感じすらあった。
今思えば生きてて良かった。

もう1つだけ語らせてほしい。
小さい頃にかくれんぼをして遊んだ人は少なくないと思うが、
いっとき「降参と言って出てきたら降参が嘘」という『もうそれ自体が嘘』みたいなルールが生まれた時期があって、みんなが探しているのを隠れ続けたことがある。
最終的に親が私を探しに出てきて渋々姿を現したことがあるのだが、これはある意味一番怖い。こっぴどく怒られたのは当たり前である。

当時の私は3、4メートルの高さから落ちるなんてカケラも思っていなかったので、怪我をする予知が出来ていなかったのである。
かくれんぼだって、誘拐など悪い想像が欠如していた為に、最後まで隠れている事実に「クククッ」と笑っていたが、大人の立場から思えばかなり厄介な子どもだ。
ある意味純粋で、その先にある味わったことのない危険は非常に抽象的なものだったと思う。

不幸中の幸いか、否か、私は水が嫌いなので水周りで遊んだりしなかったが、泳ぐのが好きだったら海やプールでとんでもないことになっていたのでは無いだろうか。それくらい子どもの頃の私が信用出来ない。
高いところは平気だが落ちるのは怖かったので、自転車置き場の屋根から飛んだり、リアル坊ちゃんのようなことは断固としてやらなかった。しかし平気であればみんなに混ざってやっていた。
私はヤンチャだったが身体能力は低いのだ。
危機管理能力の無さは、想像力の欠如である。

最近思うのだが、恥ずかしながら私はこういう危険なことを心から理解するのに随分と時間が掛かった。というか、危機管理能力について深く考えはじめたのが最近ということもあるが、勿論危険だったという事実には気付いているが、子供の無知と純粋さの怖さに実感したのが、まあまあ大人になってからということである。

ちょっと思い返すだけで溢れるだけの危険エピソードがある。
私も多分昔のことをよく覚えている方だとは思うが、
もし将来こどもが生まれて同じことをやられると思うと、想像だけで気が遠くなる。子育てのハードルがまたひとつ上がる。

そして多分、子育て以前に私はこういうことをこれからもやってしまう気がする。
勿論もう壁に登ることもかくれんぼで意地になることも無いが、
例えばフードプロセッサーにうっかり指を入れてしまったり、うっかり自転車に乗っている時に小さな段差でスリップしたり、そういう自分が容易に想像出来る。
子供の頃と違う点でいえば、心配性に拍車が掛かって想像力の方だけは豊かになっている。リアルに失敗した自分を想像して、身震いすることが出来るようになったくらいだ。

いや待て、先程私は自分でなんと語ったか。

危機管理能力の無さは、想像力の欠如である。

想像力が豊か、ということは実はとっくの昔に危機管理部門の仕事は他部署から補填されているということでは無いか。

前言撤回。
ともすれば私の危機管理が劣っているのではなく、私というカンパニー自体が、株式会社ボンヤリを名乗っていたということになる。

いつのまにか私は危機管理能力が無かった子ども時代から、ただのボンヤリ人間と成っていた。
大人になると、使える言い訳も減っていくのだ。
言い訳出来ない大人なのだから、あまり大きな痛い目に遭わず、ボンヤリと歳をとっていきたい。

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