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優しい恋バナをしようぜ


『多様性』という言葉は難しいなと
つくづく思う。

結婚だって本来、するか否かは自由な筈なのに、
「結婚はするべきだ!子どもは産むべきだ!」
と謳われる日本には、
私個人としても疑問を感じる。

勿論、多様性を認めた場合の怖さも少なからず理解は出来る。
この怖さというのは、個人の話では無く
統一するルールや偏見を失った時の
国から見た怖さである。

ただ私はその辺りを深く勉強したこともないので、
少し飛ばして恋バナでもしようかなと思う。
(恋愛に関しても、深く勉強したことは無いけれど)


まず恋愛というのは人生のオプションだ。

道は、生まれた時からみんなに1本あって、
そこに分かれ道を作っていく上でのオプション。

別にその道が無くても前には進めるし、
他のオプションを選ぶことも出来る。

だから恋愛は人生において、
必須項目なんかじゃあない。

ではそのオプションを付けた時、
必要なのは何か。

『凹凸』である。

日本最古の書物、古事記には
最初の国を作る話でこんな一文があった。
(現代語訳)

イザナギノミコトとイザナミノミコトは、その島に天から降り立って、天の神聖な大きな柱をお立てになり、その柱を中心として大きな御殿を作られました。そして、イザナギノミコトは、妻のイザナミノミコトにお尋ねになりました。
「あなたの身体はどのようになっていますか?」
「私の身体は、すっかり美しく出来上がっていますが、一カ所だけ出来きれていないところがあります。」
とイザナミノミコトがお答えになられると、
「ほう、私の身体もよく出来上がっているが、一カ所だけ出来き過ぎたところがあります。では、私のからだの出来すぎたところをあなたの身体の出来きれないところに刺して、塞いで、この国を生みたいと思うのだが、どうだろうか?」
「それがよろしいでしょう。」

日本最古の書物は、庇いようも無く
異性愛を日本の水準としている。
これがそもそも多様性を妨げる根源なのでは無いか
とも思うが、
つまり、子孫繁栄が恋愛の前提で
身体の凹凸は恋愛の基準である、と。

私が伝えたいのはそれではない。
子孫繁栄ではなく自分の人生をプラスにするには、の観点で。
大切なのは外見では無く、内面であること。

お互いが足りない部分を補う関係性が
パートナーとしてとても大事なことではないか!?

ということである。
そこには性別など関係無いし、
もっと言えば恋愛でないといけないこともない。

似た者同士より、案外似ていない方が
お互いの苦手な部分を補うことが出来るというのは
心理学的にも一説あるのが事実。

パートナーが自分のマイナス部分を補ってくれるのならば、
個人的にはそれが理想だと思う。

勿論「今一緒にいる人は似てるけど幸せ!」
という人は気にする必要無いし、
(でもきっと上手くいっているということは
お互い補い合っているのだと思うけども)
どちらかというと今悩んでいる人には
心理学的、つまり論理的にこういう考えがあると
ヒントにして頂きたい。

結構慎重に文章を書き進めているつもりだけど、
優しい恋バナになっているだろうか。

優しい恋バナなので、
恋愛を人生のオプションに付けない人にも
該当する話がしたい。
私的に恋愛ってこう思う。

良し悪し。

当たり前だけど、
自分の持っていない部分を補ってくれるなら
それはプラスに働いているし、
その人といるせいで人生がマイナスになることだって勿論あり得る。

だったら友達や趣味と楽しく付き合って行った方が
何倍も良い人生が送れる。

…。

上記、私が思う多様性を文章にすると
当たり前な内容になってしまったが、
即ちこの当たり前こそが多様性であり、
認められるべきであること。
それを許容することに、
どれだけの困難が強いられていることか。

私自身ちゃんと頷けているか分からないけれど、
多様性を安心して話せるような相手になれたら
それは幸せなことだなと思う。


ー以下、お知らせー

今回、そんな多様性をテーマにした小説を書いたので
後書きのような感じで記事にさせて貰いました。
下記に貼らせて頂きます。

この物語は、結婚を人生のオプションに選ばなかった
人たちがルームシェアをする話。
その人たちに訪れる素敵な人生を、
一生懸命描きました。
(別サイト「エブリスタ」に飛びます)

こんな形で作る集団もアリだよね。


色んなことを発信できる時代だからこそ、
私自身間違って無いか、時々不安になるけれど。
優しく認めていこうよ、
多様性を。



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