映像≒文章の法則



映像と文章はとてつもなく
隣り合った世界で生きている。


もしこの2つが生きているとすれば、
間違いなく余った肉ジャガを
おすそ分けするような深い仲の筈だ。


私は上記のどちらにも時間を掛けて向き合い、
漸くこの法則に辿り着くことが出来た。



大学時代に文芸学部の生徒だったことは
以前書いた自己紹介から既に周知かと存じるが、
現在、私はとある会社で
ビデオグラファーとして働いている。
(この言い方が1番カッコよくてお気に入りである)

主な仕事は撮影と編集になってくるのだが、
この仕事、頭と目をやたら使う。

その中でまず洗練されてくるのは
色彩感覚である。

猛者は映像から飛び出したただの白を見ても
「緑っぽい白」とか言う。

私も色の識別は得意な方ではないが、
それでも入社当時よりは進歩したと
実感している。

この場所もっと黄色だよな、とか。

人の肌の色が土っぽいな、とか。

そういう補正も仕事の1つになってくる。


映像と写真の大きな違いは、
動くか、動かないか。


あとは音声が入るか入らないかとか
細かく言うと色々出てくるわけだが、
この一文を聞くと皆首を縦に振って
「そりゃそうだ」
と頷いているだろう。


映像の仕事をしている者にとって、
動きと音声の編集は、まあ厄介である。

例えば最初の1フレームずれるだけで
カメラの揺れが大きく入ってしまったり。

何気なく話している会話が
カットしなければいけないような
とんでもない内容だったり。

そういうのを編集しなければいけないから、
私たちは目をしばしばさせながら素材を
確認するし、同時に音も聞く。

おいおい端に映ってる人、
これ納品出来ないよ!みたいなこともあるし
逆に言えば、
なんでこれ撮ってないかな?!
みたいに半分キレながら画と画を
繋げることもある。


撮影も同じだ。

声の切れ目、重要人物の動き、
メイン以外の人物の動き、
感情の変化。

2つしかない耳と目を同時に研ぎ澄まして
撮り逃さないように撮影する必要がある。


なんだかここまで話していると
どんな映像を作っているのか察してしまう人も
いるだろうが…気付いた人はそっと内密に。


とにかく、私は数年この仕事ばかりしていた為に
文章を書く機会が格段に減っていた。

文章は普段から身近に触れていなければいけない
繊細な生き物である。

リハビリがてら本を読んで、書いてみたとき
学生時代から明らかに
文章の書き方が変わったことに気が付いた。


『描写力』


それは私にとって1.2を争う苦手分野だった。

頭で浮かんでいることが、
文字に書ききれない。
だから伝わらない。

学生時代は、これで非常に頭を悩ませていた。


描写が出来ないから
アイディアでカバーするしかないと思い、
大学時代はとんでもなくすっ飛んだ
小説を書いては先生に提出していたものである。

(因みに卒業制作で書いた小説では、
主人公が巨大なクリームパンに掴まって
海を漂うという、
これまたとんでもない話を書いた)


そんな私が今このレベルの描写を出来ているのは
実はとてつもなく進歩なのだ。

人の動き、感情の変化。
昔は見えなかったものが、
脳内に映し出される。

これは間違いなく、
映像に携わり耳や目、
脳が研ぎ覚まされた結果である。



そしてこの事実に気付いてから
とんでもない発見をしてしまったわけだが、
実はこれ、映画を見ることでも
上記能力が充分に養える。


勿論伏線や話の展開を学ぶことは、
小説を書く上でとっても大切である。

評論的見解であれば、
大学時代に授業で学んだ分野でもあるし、
ある程度までは語れることを自負している。


しかし映画というのは欲張れば欲張るほど
知識を得ることが出来るのだ!


人の動き、感情の変化。
その人が立っている位置、気持ち。


文章では無く、映像として見ることが
更に文章力を高める。


即ち、
映像と小説は似て非なる場所にある、と。


数年社会人をして、
漸く気付いたわけである。

文章に行き詰まったとき、
映像を見てみるのは
良い息抜きになるかもしれない。


映像≒文章の法則に従って。




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