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【余白】

自分の【余白】を探したことはあるかい?


私は生まれて20と数年になるが、
つくづく平凡な人生を送っているなあと思う。

そう思う心底には
『自分はまだこんなもんじゃ無い』と思う気持ちがあって、
経験値の少なさ故に出した「平凡」である。

恐らく面白い話を人生で産み続けるには
アクティブどころかアグレッシブに活動する必要があって、
保守的な私にはどうにも難しい。
何か行動しようと考えても、あらゆるリスクを先に書き出してしまい、
結果に結びつくのはいつも『死す!!』という最悪なパターンである。
そんな奴が変わった人生なんて送れる訳がない。

だからブログが続かない。

日記として自分の軌跡を残すには充分なツールではあるが、
貪欲な私は伸び代を気にしてしまって、
面白い日常を綴れない私は、尽く挫折を続けて来た。

その点noteは居心地が良いなと思う。
随分前、まだ始めて間も無い頃も同じことを書いたが、
その気持ちはまだ継続している。

私は頭の中でぐるぐると考えたことを
発表するのが好きで、
自分の日常を綴るよりも更新したときの満足度が高い。
ブログよりも私の需要と読者の供給がマッチしているというか、
伸び伸びと書くことが出来る。

ブログが方眼ノートだとすれば、noteは自由帳みたいな。
日記も創作も評論も、全て受け入れてくれる柔軟さが好きだ。

仕事を始めてから数年書く機会が減っていて、
私はずっと頭の中がすり減っていく感じが悲しかった。
やっぱり学生の時より執筆の時間が減るのは仕方がないことだし、
諦めてもいた。

しかしである。
noteを始めて最初の方は「やっぱり以前より良い言葉が思いつかないなあ」
だとか、「書く時間が遅くなったなあ」だとか、
負の変化を受け入れざるを得なかった私が、
少しずつ書く時間が早くなって来て、
(今は1200字くらいならそこまで苦に感じなくなった)
語彙も少しずつではあるが取り戻しているような実感がある。
書くネタが無くて頭を抱える時もあるけれど、
絞り出して書いている時、「今まさに鍛えられているのだ」と感じる。

なんだ、これ。筋トレでよく聞くやつじゃないか。

筋肉痛でもトレーニングをする状態。
即ち「筋肉をいじめている」のと同じで、
私は脳みそをいじめている。
そしてそれは確実に『向上』へと繋がっている。

私という人間は不思議なもので、
最近は長らく離れていた読書にまで時間を費やすようになった。
眠くても「本を読みたい」という気持ちが持続するのである。
あれだけ毎日余裕が無いと思っていたのに、だ。

冒頭に話が戻るが、
私は心の底では『まだまだこんなもんじゃ無い』という気持ちがある。
恐らくまだチャレンジするべきことがあって、
それを乗り越えることで更なる【余白】を見つけることが出来るのだろう。
まだやって無いことは沢山ある。
経験してそれをnoteに綴れたら、それだけでも価値がある。
面白いことがあれば憧れのエッセイだって書けるし、
例え直接的に成仏することが無くても、
私には小説に流し込むという手もある訳で。

やらない後悔ってそういうことか。
新しいことを、考えるだけでワクワクする。


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