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救命ボートよりも小さいけれど

あの頃の熱い気持ちはどこへやら。
学生時代の熱血顧問のような言葉より、
スライムみたいに柔らかい言葉の方が
何倍も求めていて、心地良い。

私はスクランブル交差点に突っ立って、
「頑張らなくて良いよ」と、一生懸命投げかけたい気分である。

「仕事が辛い」「辞めたい」「逃げたい」
私はこの言葉を積極的に肯定するようにしている。
「もう少し頑張れ」「もう少し続けてみれば」という人がいるならば、
私は弱っている部分を肯定する側でありたいのだ。

昨年度の夏頃、非常に仕事を辞めたい時期があった。
その頃は毎朝会社に行かなくて良い方法ばかり考えていたし
(そういう時は大抵悪い方向にばかり思考が偏るものである)
仕事が終わっても休日も、ずっとどんよりとしていて、今では思い出せないくらい、生きるのがやっとな毎日であった。

同期は私に「辞めないで」と言った。

「辞めたら寂しい!」「一緒に続けようよ!」
これらは全て、心からの励ましであり、勿論善意であった。
それでも私の心に矢が刺さることはなく、
ピンと弾かれて床に落ちていくだけだった。

当時心から救われていたのは、
何を隠そう「現状に希望が無い、仕事を辞めたい同志」の友人であった。

「仕事辞めたい」「辞めよう!」
「仕事が辛い」「私も」

同じ波長で返ってくるレスポンスが、なんとも心地良く安心出来ることか。
それだけで私は「辞めても良いんだ」と思えたし、
「辞めても良いなら、もう少し続けてみようかな」とも思えたのだ。
それから、心から辞めたい友達には、同じ熱量で背中を押した。

何かを辞めることは、案外勇気が要る。
そんなとき、勇気を出して辞めることを決心したのに
引き止められてしまうと、タイミングを失ってしまうことがある。
引き止める人と背中を押す人。
双方いて、私は後者になりたいというだけの話である。

余談だが、芸能人に「頑張らなくて良いよ」と言われると、少し心が軽くなる。
今テレビに出ている『散々頑張ってきた人』に
「頑張れ!」と言われると、だらしない私の心は居場所がなくなってしまうのだ。
「働けば良いってわけじゃない」
「頑張るのが正義じゃ無い」
この言葉に救われているのが事実、私である。

私的に、「頑張れ!」と一言で返して高確率で差し支えないシーンは
「今からバイト〜」とかったるそうに向かう人くらいだ。
「おう、頑張れよ!」で特に差し障りも無いだろう。
その他の場面においては「大変やなあ」とか「無理せずに」とか、場合によっては「気をつけて」とかなるべく言葉を代用するように心掛けている。

頑張ってる人に頑張れと言うな、とはよく言ったもので、
私は全面的にこの考えに賛成である。
頑張る人は勝手に頑張ってしまう。
頑張ってるのに、まだ頑張ってしまう。
頑張り過ぎていることに気付かない。

例えば無人島で遭難した人が、
ヘリコプターを待って上ばかり見つめている時に
私は遠くからボートを漕いで、
こちらにも道はあると教えたいのだ。

「頑張らなくて良いよ」
私が掛けられたい言葉であり、掛けたい言葉である。


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