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マザコン・クエスト【最終回】「負の連鎖」を断ち切る

大学病院で複数の医師の診察を受け、入院5日目にして義母の病名が決定した。いつ退院できるか分からないが、病名と治療法が決まったので、ひとまず見守るしかない。

義父とは電話で毎日やり取りしている。このご時世で見舞いにも行けないもどかしさを訴えつつも、難しい医療用語を交えながら医者の見解の詳細をしっかりと伝えてくる義父の頭脳の確かさには、舌を巻く。こんな親がいて指示出し、ダメ出しされたら子どもは敵わないと改めて思う。

義父はどこまでも義父らしいのだが、義母は人が変わったようになっていた。2週間ほど前、夫が実家に立ち寄った時、義母は片足がところどころ変色して痒みを訴える以外、症状と言えるものはなかったが、その様子はまるっきり無気力、無表情だったという。日課の一万歩の散歩も、家事もしないし、何も食べない。

「もう私は十分やったから。家事ももう沢山。とにかくね、これ以上生きていたくもないの。」
弱音や愚痴と無縁な義母の、急激な気力の低下を義父はひどく心配していた。

夫の方は、自分の内面の変化が母親に影響したのかもしれないと考えた。自己否定をやめ、母親を責めるのもやめた。数十年に及ぶ息子からの攻撃がなくなり、母親も肩の荷を下ろしたのか?と。

ところが後日、義母は受診した病院で突然倒れ、検査のため入院した。こうなると解釈が変わってくる。「病気ですらも自分が意図したこと」私たちは多少の困難を経て、そのように物事を捉えてみるようにしている。夫が両親の元に生まれたのも本人の意図。そう分かりつつも感情的に癒されずにきたのだった。

義母の過去の大病にはパターンがあった。彼らは嫁を一人潰している。嫁と言っても私のことではない。

夫は二十代半ばで一度結婚しているのだが、数年で嫁が精神を病み、家庭は崩壊した。仕事と家事を抱え、うつ気味の夫を見て義父母が弁護士を立て、あっという間に離婚させたという。子どもは前妻が手放さなかったので、それきり会えていない。

なんでも、結婚式のやり方、住居の選定で両家が大もめにもめた。早くも崩壊の序曲が鳴り響く中、結婚と同時期に義母が心臓の手術で死にかける。嫁が妊娠すると今度は大腸がん、子宮がんになり、生還した。

夫としては家族のために一生懸命尽くしてきた母親がこれだけの大病をして、妻と新しい家庭を築く方向に、気持ちを全面的に向けることは難しかっただろう。

私も結婚4年くらいで、一度潰れかけたのだが海外転勤に救われた。夫も前の経験があるので、これを機に親との心理的距離を取り始めた。
「私もロンドンに行って孫たちと生活したい。」という義母を説き伏せてくれたのだ。こうして親子の蜜月は終わる。

関係は悪化、うまく行かないと「親のせいだ」という息子と、うまく行けば「私のおかげ」という母親。どんなに険悪でも責める対象として互いを必要としてきたのに、ついに夫が完全に母親を見切った。義母は今度もまた、病気になることで盛大に拗ねているのたろうか…?

大病を乗り越えてきた義母も高齢、すでに満身創痍だ。少なくとも互いが生きているうちに夫が冷静に母親に向き合えるようになったのは控えめに言っても偉業だと思う。

死別や縁を切ることが最善という場合もあるけれど、実は義母自身が自分の親きょうだいと絶縁した人だ。夫は親との問題を自力で乗り越え「負の連鎖」を断ち切った。

今回の義母の病の意味するところは想像でしかない。義母の心境に変化があるのかも、退院してみないと分からない。とにかく、義母には未解決の人生の問題が残っているのだから、病を乗り越えて元気になってほしい。

義母は傷ついた子どものまま、親になってしまったのだ。そして息子を使って親きょうだいを見返したかったこと、そして息子への怒りは絶縁した親きょうだいへの怒りに相違ないことを、聡明な義母自身が理解し、癒やされることを願うばかりだ。


マザコン・クエスト 終わり


『システィーナの聖母』1512年〜
ラファエロ・サンティ 
アルテ・マイスター絵画館所蔵


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