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在宅介護はじまる

父が退院して1週間。姉の友人であるケアマネさんのスピーディな手配のおかげで、看護師さんの訪問介護、専門医のリハビリ、医師の往診、週2の訪問入浴が決まり、手が回らない部分を助けてくれるヘルパーさんもお願いできることになった。

たった1週間で、たくさんの方々が父のために動いてくれ、母は何枚もの契約書にサインをした。

私たち3姉妹は日替わりで泊まり込み、父の食事の介助からシモの世話までできる限りのことをした。夜中に高熱が出たり、顔だけ異常に火照ったり、毎日なにかしら起こる父の変化に家族は眠れない夜を過ごした。うっかり寝てしまった間に父が逝ってしまったら、そう思うと怖くて熟睡などできない。

正直、疲れた。たった1週間、それでも怒涛の1週間で、とにかく昨日は最悪だったと思う。ついに母vs三姉妹のバトルが起こった。

わたしたちの体調と仕事を心配し、もう泊まるなといい張る母。高齢の母の頑張り過ぎる姿を心配して、動き回るなといい張るわたしたち。そして終いには、父を再び入院させると言い出す母。

結果、母、長姉、ケアマネさんで話し合い、今後はヘルパーさんを上手に利用しようということでなんとか落ち着いた。

友達にもいわれていたし、頭ではわかっていたのにできなかったこと。

無理はしない。抱え込まない。人の手を借りる。

そうやっているつもりでも、いつのまにかわたしたち姉妹は無理を重ね、母はひとりで抱え込もうとしていた。そして全員が、もう十分人の手を借りているのだからと思い込み、もっと借りようとすることを遠慮していた。

母や姉たちにはいっていないけれど、父が退院してからわたしは下痢が止まらず、今朝は激しい頭痛で目が覚めるほど、体は限界を告げていた。

わたしは人間のお世話というものが本当にできない。それは人間としてどうなのよ、と思い自分なりにがんばってみるけれど、たちまち体に拒否反応がでてしまう。そういう自分にすごく劣等感を感じていた。

でも、それはもう仕方がないこと。自分なりにできる限りのことをやってみてのことなのだから、カラダの声を拒否せず受け入れようと思う。

直接のケアでなくても、わたしにできることはあるはず。そう考えて昨日は、父の食事の介助をしながら得意なことをやってみた。

父の口にメイバランスをひとくち入れる。飲みこむまでに3分はかかるから、その間に膝の上に置いたタブレットで文章を書く。そしてまた父の口にひとくち。飲みこむ間にささっと書く。それを繰り返した。

父と家族の記録。いま目の前で起きていることを書きとめておく。忙しすぎてみんなが忘れてしまうであろうことを書く。これはたぶん、家族の中でいちばん冷めているわたしにしかできない。いつか懐かしく読み返したとき、ああ書いておいてよかったと思えるといい。





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