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ちちのこと

長く入院している父が、もうすぐ家に帰れることになった。

回復して退院、ならよかったのだけれど、そうではなく、もうどこにいても手の尽くしようがなく、このまま病院で死んでしまうより、帰りたかったであろう家に帰してあげるのが、わたしたちにできる最後のことだと思ったからそうすることにした。

父が認知症になって5年が経った。体が元気なうちに脳の症状がゆっくりとではあるが確実に進んでしまい、このままでは家族の誰かが大ケガするか、もしくは本人が致命傷を負うかどちらかだろうという寸でのところで今の病院に入院したのだった。

家族のことも自分のことも、どんどんわからなくなっていく父を、みんながせつない思いで見守っていた。ほんの少しでも、元気なころの父を留めようと、写真を見せたり思い出話を聞かせたり、母や姉たちは必死だったと思う。

なのにわたしはどうしたことか、父の症状が進んでいくことに、それほどショックは受けなかった。入院中に別の病気を発症して、今度こそはもうダメかとなったときも、たぶん家族のなかでいちばん冷静だったと思う。

父は末っ子のわたしをとてもかわいがってくれて、孫たちが産まれるまでは、おもむろにわたしを依怙贔屓していた。悪びれもせず、姉妹の中でわたしがいちばんかわいいといってしまうほど、溺愛してくれていた。

いちばん悲しんでいいはずのわたしが、いちばん冷静でいると知ったら、父は悲しむだろうか。ごめんね。ごめんね。

わたしは覚悟を決めていたのだった。変わっていく父を、そのまま受け入れようと思っていた。そうすることが、たぶんいちばんラクだから。だって父は、家族の顔も名前もわからなくなってしまうことがわかっていたから。

今の父は、昔の父ではなく、新しい父。どんどん新しくなっていく父。もうすぐ死んでしまうけれど、最後まで父は新しくなっていくのだろうと思う。


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