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18-7 梅すだれ 肥後の国

 自分のしでかした罪に直面した松之助は気怠さに襲われた。これから自分はどうなってしまうのか、家族は村はどうなってしまうのか。答えなく悩み苦しみ、まるで今まさに磔にされているようであった。そんなんだから、この苦しみを分かち合えるイエスへの想いは消すどころか、ますます強くなってしまう。

 しかし次の日、猿彦と寺へ来たことでイエスへの想いが揺らぎ始めた。雲十の「心がすべてを作り出す」という言葉が引っかかったのだ。

 松之助は切支丹の集まりに行ったことが父親にばれて殴られるんじゃないかと心配していた。そして、そのとおりになった。イエスは自分を裏切ろうとしている者がいると、弟子たちに向かって言っていたそうだ。そして、そのとおりになった。

 最近切支丹が首を切られたのも、切支丹だとばれて首を切られるんじゃないかと恐れていたから、そのとおりになったのでは?

 心のとおりに現実が作られていく。

 今隣に座っている猿彦は家族もいなくて可哀想な身の上ではあるが、何のしがらみもなく一人で気ままに生きている。松之助が欲しくて仕方ない、でも手に入れられない自由。それを持っている猿彦を松之助は実は密かに憧れている。

 毎日二回も寺へ通い字を習いお経を暗唱しようと頑張っているから、その理由を尋ねた時に猿彦はこう言った。極楽へ行く為だと。その時の猿彦の顔は自信に満ち溢れていて、そうなることを信じて疑わない堂々とした言いっぷりだった。今思い出すと、きっと猿彦は極楽へ行くのだろうと思わずにはいられない。

 それに加え、猿彦はこんなことも言った。

「おいが阿弥陀仏を唱えることで、死んだ父さんも母さんも兄さんたちも、殺された村の人たちも、みんな極楽へ行けるような気がすると。」

 きっとそうなのだろう。みんな極楽で猿彦を待っているのだ。だから猿彦は一人でもこうして元気に生きているのだろう。それに比べて自分はどうだ。父っちゃんたちを巻き込んで首を切られるかもしれないと怯えている。しかも伊予への未練は日に日に大きくなっていくばかりだ。

 伴天連の会で見たマリア。あの姿がお藤に重なるのだ。きっとお藤は誰か男と一緒になって子どもを産む。あのマリアのように赤ん坊を抱くことだろう。それを考えると、悲しさと嫉妬と怒りで腹の底が煮えくり返る。誰とも知らぬ男をお藤共々切り殺してしまいたくなる。そんなことを考えて自分を苦しめるのは嫌なのに、そう思うことはやめられない。このままではそれが現実になってしまう。

 どうにかしたい松之助は雲十にこう尋ねた。

「仏陀はどうやって死んだんや?」

「仏陀様は弟子たちに見守られて静かに息を引き取ったそうだ。」

 弟子に裏切られて殺されたイエスと何と違うことか!

 おもむろに松之助は懐に手を入れた。ビリッと布を裂く音を立てると十字架を取り出した。着物の胸の内に小さな布を縫い付けて十字架を隠し持っていたのだ。猿彦はまたもや「ふっ。」と音を出して息をのんだ。その十字架は猿彦が拾ったものなのだ。松之助に渡したことなど忘れていたから、なぜ松之助がそれを持っているのかわからずに目を疑った。

 十字架を前に置いた松之助は雲十にこう頼んだ。

「これはもういらん。経文が欲しい。くれんか?」

「寺へ通え。」

 嬉しそうに笑う雲十は月光に照らされて光を放っているように見えた。まるで阿弥陀様。猿彦が雲十さんは阿弥陀様の化身だと言っていたことが、今わかった。

(わいは大丈夫や。わいも父っちゃんも母ちゃんもお清も栗坊も、誰も首なんか切られん。みんな極楽へ行ける!お藤の幸せも考えれるようになる!)

 そして次の日から松之助は猿彦のように朝夕寺へ通うようになったのだった。


つづく


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