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数字の呪い

 日曜日の午後。

 暑さに負けた私はコンビニへ駆け込んだ。目指すはアイスコーナー。でもその前にデザートを一つゲットしなければならなかった。母専用のパフェを。

 母はコンビニのパフェが大好き。

 あとホワイトガルボも。コンビニへ行った時はついでに買うようにしている。キッチンのテーブルに置いておくと、数時間でなくなっている。ひとつおこぼれをもらおうと思った時には、すっかり母の胃に収まっている。

 今日はガルボはなし。暑いから冷え冷えのアイスとデザート。チョコって気分じゃない。

 まずはデザートをと思ったのだけど、その前にアイスの冷凍コーナーがあった。チラッと見たら、グレープ100%のアイスバーがあった。ちょうどグレープジュースを飲みたいと思っていたから思わずひっつかんでカゴに入れた。

 溶けちゃうからと、急いでデザートコーナーへ行くと、その前で騒いでいる女がいた。40代に見えた。かごの中にはどっさりパンやら食品が入っていた。

 「値段をきかれたって」どうのこうの、「380円が」どうのこうの、「そんなのありえない」どうのこうの、店員一人を捕まえて大声を出していた。

 この店員に文句を言うというよりは、以前の不満をこの店員に愚痴ってる感じだった。30歳くらいの男性店員は無表情で無言だった。聞き流しているように見えた。

 矢継ぎ早に話していた女が息継ぎをした瞬間、店員はくるっと踵を返して逃げるようにバックドアへ入って行った。

 しんと静まり返った店内で、私はムズムズしていた。

 ”どいてー。話し終わったよね。アイス溶けちゃう。”

 ところがその女、スイーツの前から動かない。いなくなった店員からデザートへと向きを変え、ひとつ手に取っては戻して、を繰り返し始めた。値段の確認だろうか。消費期限の確認にも見えた。

 ”まだ買うの?もうかごいっぱいじゃないのよ。”

 アイスクリームが溶けてしまうと焦った。アイスのためならと、コロナ禍にもかかわらず横に並んでスイーツを物色した。

 ”とりあえずクリームが入ってたらOK。”

 母はただクリームが食べたいだけなのだ。紫のゼリーが輝くパフェを取ってレジへ急いだ。

 帰宅後、グレープアイスを食べながら当然のように「スイーツの前に邪魔な女がいた。」と話した。あの女が何を騒いでいたのかはわからなかったけど、「380円」は耳に残っていた。

 そう言えば山を登っていた時、大声で話しながら下ってくるおじさんがいた。

 「4時半に登ってもいいの。4時半は」どうのこうの、「5時半は」どうのこうの。「いやだから5時半はね!」どうのこうの。

 山に登る時間について説明しているようだった。連れのおじさんが知りたくて聞いているという印象は受けなかった。だって無言だった。

 あの「4時半」と「5時半」が耳に残っていた。

 あの人たちはやけに数字にこだわっていた。こだわっていたというか、声を張り上げて数字を言っていた。私の耳には数字だけが残っている。

 数字を語る時、人は威勢がよくなるのだろうか。
 数字にこだわる時、人は大声になるのだろうか。

 数字のない生活をしている人たちもいると言う。数えたことなんてないのだ。時計もないのだ。もともと人はそうやって生きていた。

 数字のない生活なんて考えられないけど、数字がなかったらどれだけ楽だろう。朝起きる時から寝るまで、時間に合わせて動いている。毎日をカウントして生きている。年齢もカウントしてる。どれだけ数えながら生きているのか。

 言霊と言われるように言葉に力があるなら、数にもあるはずで。
 数秘術なんてのもあるし。
 数字の呪い。

 数字の縛りがなかったら。
 一方的に話すこともなくなるさ。
 数字の縛りがなかったら。
 まくしたてることもなくなるさ。

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