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13‐2 梅すだれ 肥後の国

 千葉城は熊本城の東にある。白川の南に位置する浜次郎の家から、白川沿いに三里北へ行けばたどり着く。猿彦は足を泥だらけにしながらも、(あのお侍に今一度会いたいと!)と、弾む心で宮本武蔵の元へと駆けて行った。

 しかし、もちろん城へ入ることなどできなかった。門を叩いてみたが、

「お前みたいなんが何人来たと思うと?帰れ帰れ!」

と、門番に笑われた。大言壮語の海太郎であったから、宮本武蔵は城になんぞに住んではいなかったのだ。しかし千葉城の裏の屋敷には住んでいた。

「お前なんかが会えるわけなかろうと!」

と追い返された。

(そのとおりと。)

 素直に納得した猿彦は、(また前を通ったらおいも後ろについていけばいいと!)と若者らしい希望を抱いたのだった。

 びしょ濡れで家に帰ると、タイに怒られた。

「そんなに濡れて風邪ひくと。どこへ行っとっと?」

 宮本武蔵に会いに行ったけど会えなかったと言うと、

「サル、おまえ侍になりたいとか?なれるわけなかろうと。」

と、呆れられた。

 次に見かけたら後ろに付いていくと話すと、

「めったなことしたらあかんと。切られっと!」

と、諭された。天野原しか知らない猿彦だからと、「武士とは、農民とは、」と猿でもわかるように丁寧に階級を説明され、

「おまいは魚を売る才能があると!」

と励まされながらも、

「人を切る男になんぞ憧れて、バカと!」

と罵られもした。

 何を言われてもその通りだとしか思えない猿彦は黙って言われ続けた。そんな猿彦とタイを笑っていた浜次郎に、

「おいの魚をやれ。一番大きいのを渡すと!」

と言われたら、それはいい考えだと思った。ご贔屓の魚屋にしてもらえるかもしれない。期待は膨らんだ。

 やがて梅雨が明けると猿彦はウキウキと魚を売り始めた。しかし、この夏はやけに暑かった。それだけじゃない。雨が全く降らなかったのだ。

 あまりの暑さに通りを歩く人がいなくなり、魚を買う人もいない。それどころか売る魚も手に入らなくなった。浜次郎が言うには、海に魚がいないんだそうだ。あの冬の大漁で獲り尽くしたのだろうか?有明海から魚が消えた。その上、浅瀬で作っている海苔も海水温の上昇で例年のようにはできなかった。

 農家の不作もひどいもので、野菜も稲穂も育たなかった。そんなんだから猿彦の稼いだお金があったけれど、米を分けてもらえなかった。冬に獲った魚の干物を細々と食べて過ごすしかなかった。

 夏でも涼しい森の中で生きてきていた猿彦は、この暑さに参った。城下町へ行かず、家でぐったりとする日々。しかし暑さに参っていたのは浜次郎一家も同じ。あんなに騒がしかった子どもたちも、くたっと寝転がっているようになった。そしてあの騒がしい海太郎が遊びに来ることもなかった。

 誰もが日中は、家の中で暑さが過ぎるのをただじっと待つしかなかった。

 どうにか暑さを和らげようと、手拭いを水で濡らして首に巻いたりしたが、すぐに乾いてしまう。タイは根気よく子どもたちの手拭いを濡らしては首に巻いてやっていた。しかしそんな努力もむなしく、暑さと乾燥で末の子どもは死んでしまった。

 浜太郎の赤ん坊も死んだ。村の年寄りと子どもを中心に多くの人たちが死んだ。世に言う、「寛永の大飢饉」の始まりであった。


 子どもを失ったタイの気の落としようは尋常ではなかった。あんなに明るく前向きだったのに、「おいがもっと気を付けてみてれば死ななんだと。」と泣くのだ。

 そんなタイを「おまえはようやっとっと。なんも悪くなかと。」と浜次郎が慰めるも、「おいがおいが、おいのせいと。」とタイは泣き続けた。


 そんな家の中で、猿彦は居心地の悪さを感じた。(おいが死ねばよかったと。)と、せいの希薄な猿彦は思わずにはいられなかった。


 そんな夏が終わると今度は大雨の秋が来た。夏に降らなかった分も含めて、天をひっくり返したように雨が降り続いたのだ。

 食べるものはなくなっていく一方で、新しく得られるものなどなかった。 大雨のせいで清正公が統制した白川も、水が溢れるところがあった。生きることへの不安が広まる村に、それでも藩の年貢の取り立ては来るのだ。


 生きているだけで息苦しい。


 猿彦は海太郎が話した、あの人物のことを思うようになった。それは益田四郎。三年前の島原の乱で三万人もの農民を率いて強大な権力である藩と戦った英雄だった。

 ちょうど海太郎が漁に出た時に、益田四郎が天草から島原へ渡る舟に出くわしたそうだ。青白い顔で前を見据えて舳先に立ち、微動だにしていなかったそうだ。

「やけに色が白かったとが、普通の小僧だったと。サルと変わらんと。」

 驚いたことに、山を逃げ出した時の猿彦と同じ十六歳だったというのだ。

(すごいと!)

 殺されてしまったとは言え、憧れずにはいられなかった。

 長雨の秋が終わると、今度は激しく冷え込む冬が来た。ほとんど食べるものはなく、餓死する者が出始めた。

 巡る季節はどれも容赦なく命を奪っていく。それはこの熊本だけのことではなかった。九州、そして本州のいたるところが同じように飢えていたのだ。

 元々あまり食べなかった猿彦だったが、浜次郎一家への遠慮も出て何も口にしなくなった。しかし、そんな猿彦に気付く者もいなかった。タイはもちろん浜次郎でさえ、猿彦を気遣う余裕などなくなっていた。

 どうしようもない状態の中、空腹で体の中は虚ろ。そして生来の陰気に輪をかけるように心も虚ろ。そんな猿彦は、現状を打破するために悪政の領主に反乱を実行したあの益田四郎のことを思わずにはいられなかった。

 憧れは一層強まり、春になると同時に猿彦は家を出た。島原の乱後、島原藩と同様に天草藩も農民が激減して植民を遂行していた。その天草藩へ移住したのだ。

 猿彦、十八の春だった。


つづく


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