13-1 梅すだれ 肥後の国
そして、今海太郎のお気に入りの話は、ある剣客についてだった。
その刀使いは、東の国で名を上げた有名人。島原の乱でも活躍して、細川のお殿様に招かれて熊本に住み始めたそうだ。
「この宮本武蔵がと、二本の刀を使って、やー!やー!どんな相手も切ってしまうがと。」
木の棒を振り回して二刀流の戦い方を出鱈目に真似する海太郎に、子どもたちは大喜びした。自分たちも棒を両手に「やー!やー!」と振り回すから、狭い家の中が危険極まりない。
「あぶないと!」
タイが怒ってもそんなことお構いなしに子どもたちはチャンバラに夢中。壁にへばりついて身を守るしかなかった。
しかし、猿彦のこの一言でピタリと静まったのだ。
「その男、見たと。」
「なに?!宮本武蔵が魚を買ったと?」
海太郎が目をひんむいて猿彦を見た。
「前を通って行っただけと。宮本先生て呼ばれてた。」
そう、猿彦がいつものように路上で魚を捌いていた時、五、六人を従えて歩いていく男の腰紐には二本の刀が差してあった。そして前から来た武家人が「宮本先生!」と挨拶して、後ろについて歩いて行った。
後ろを歩く男たちはザッザッと大きな音を立てて砂埃を上げて歩いているというのに、その宮本先生だけは、音がなかった。足元の砂は一粒も動かない。その体は上下にも左右にも揺れなかった。スーッと滑るように通って行ったのだ。
「足のない幽霊みたいだったと。」
「ほー、そうかそうか!」
海太郎の目は輝いた。この後、海太郎が会う人誰にでもこう言いふらしたことは言うまでもない。
「あの宮本武蔵がと、浜次郎の魚を食べて『うまい!』と言ったと。」
そんな海太郎とはまた別に、猿彦も興奮していた。剣客という生き方に感銘を受けたのだ。
「戦って生きとると?」
いくつもの山を越えて移動しながら、戦いを糧に生きている人がいる。逃げるために山を越えた自分とはどうしようもなく違っている。そしてその戦いを得て今はお殿様のお客人になって、お城を与えられて生きているのだ。
憧れずにはいられなかった。
居ても立っても居られなくなった猿彦は、雨の中を宮本武蔵が住むという千葉城へと向かったのだった。
つづく
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