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14-1 梅すだれ 肥後の国

 人を増やす為に移住を推進する天草藩。そうは言っても、独り身の猿彦は歓迎されなかった。移住できるのは子どものいる夫婦。これから子孫を増やしていける若者だけであった。しかし移住の資格がないとは言え、まだ十八歳の猿彦なのだから女も子どももこれから。いくらでも可能性はある。

 そんな期待と、前代未聞の大飢饉で新しい移住が難航したことと、逃亡者が出始めたことと、猿彦の転入に相応しい理由はいくつもあった。

 生きることに悲観的な猿彦ではあったが、浜次郎の家に落ち着いたり、魚売りが成功したり、他人から見れば生きやすい道を歩いている。そんな猿彦だから天草でもすぐに住む家が見つかった。

 それは二年前に日向ひむかの国から移住してきた家族が住んでいた空き家だった。血縁者もいない知らない土地へ来て、作物も育たず子どもと妻が死んでしまい、この冬が終わると一人残された男は故郷へ戻ったのか、はたまた新しい土地で再出発するのか、誰にも言わずいなくなってしまった。

 冬が終わったと言ってもそれはこよみの上でのこと。年の瀬から降り始めた雪は四月になってもまだ降り続いていた。

 終わらない冬。

 永遠に続きそうな寒さの中にあって、猿彦は新天地での生活に満足していた。一人では大きすぎる家。そして家の前の畑には大きなみかんの木があった。

 雪をかぶっていると言うのに、猿彦は得意の木登りでその木の枝に腰かけて寛いで過ごした。木の中は暖かく感じられるのだ。

(やっぱ木の上が一番落ち着くと。)

 猿彦は自分の居場所をまたしても木の上に見つけていた。


 八月まで降り続いた雪が止み、寒さは少し和らいだが暑くなることもなくまた冬が来た。寒さが続く中、畑にはサツマイモとジャガイモを植え付けた。三、四か月したら小さいながらも収穫できた。めげずに新しく植え付けては収穫して、を繰り返すしかなかった。

 しかし芋を食べるしかなかったかと言うと、そうでもなかった。猿彦は庭のミカンも食べていた。樹齢二百年はある大きな木は、この寒さの中でも木の内側には小さな実をつけていたのだ。

 移住から一年。次の春には雪は止んだ。しかし、春や夏を感じられるほど気温は上がらなかった。二年目もひたすら芋を作った。芋の栽培はど素人の猿彦だったが、これしか作らないのだから少しずつましになってきた。大きく育つようになってきたのだ。芋ばかり食べているからか、骨と皮だけの体が少しふっくらしてきた。

 それに呼応するように精神的にも余裕が出て来た。近所の人と言葉を交わすようにもなった。

 そうやって暮らしてまた一年が過ぎて、猿彦は二十歳になった。ついに待ちに待った懐かしい春のぬくもりがやって来た。気候が元に戻り、異様な寒さの続いた長い冬が終わったのだ。

 凶作のこの数年間は、みんな自分たちが生き延びることで精いっぱい。伏し目がちで暗い表情だった。しかし今年は誰も彼もが、春の陽気に押されるように笑顔で言葉を交わすようになった。

 新しく住み着いた独り者の猿彦にも、

「一人じゃ寂しいと?女を探せ。」

と言ってきたりもした。しかし、そうは言いながらも、畑の作業以外はミカンの木に登って過ごす変人猿彦に女を紹介する者はいなかった。

 猿彦は猿彦で、一人でも孤独を感じることなどなく、相も変わらず木に登っていれば幸せなのだった。

 そんな猿彦の耳に、「兜梅が咲いたと!」と言う声が聞こえて来た。村の人たちがこぞって坂の上にある延慶寺へ梅見に行くものだから、猿彦も行ってみた。

 その梅は寺の庭にあった。幹のように太い枝が地を這うように低く水平に伸び、その枝からいくつもの枝が立ち上がるように上へと延びていた。そしてその枝いっぱいに咲いた白梅しらうめが庭を埋め尽くしていた。

 その豪勢な咲きっぷりは、寒さに耐えた人々の生き様を表しているように思えた。地に這いつくばるように伸びた太い枝はじっとこらえた三年間のようであり、天へ向かって伸びる枝に咲く花々は、生き延びて暖かい春を迎えた喜びに見えた。

 思わず顔のほころぶ猿彦であったが、この梅の名前の由来を聞いて戦慄が走った。

 この「兜梅」とは、六十年前に九州平定のために天下人てんかびと豊臣秀吉がこの地を攻めた「天草の合戦」のある出来事から名付けられていた。

 この合戦において清正公せいしょこうに討ち取られた木山弾正きやま だんじょうの妻、お京がかたきを討とうと女たちを率いて敵陣へ攻め込んだ。しかし、この梅に兜が引っかかり敵に討ち取られてしまったのだ。その時にお京が、

「花は咲けども実は成らせまじ!」

と吐いた言葉どおりに、この梅は実をつけなくなったと言うのだ。

 そんな言われの白梅しらうめを、人々は「兜梅」と呼んで毎年その華やかな咲きっぷりを楽しんでいた。しかし異常気象の三年間は花が咲くこともなかった。その梅の木が庭いっぱいにまた花を咲かせたのだ。

 久しぶりの春の知らせである梅の開花を喜ぶ人たちの中にあって、猿彦の心境は一味も二味も違っていた。呪いのとおりに実をつけない梅の花と、そんな呪いをかけたお京に深く共鳴していたのだ。

(山之影の花忍はなしのぶも枯れてしまえばいいと!)

 そんな願いを込めながら、猿彦は兜梅の咲かせる見事な白梅しらうめを見つめたのだった。


つづく


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