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24 結婚したい女たち 香の選択

 香が戻るとお琴と一花は折り畳みの小さな木の台に料理を置いて向かい合って座っていた。「香はここ」とお琴に言われて座らされたのは、二人の座っている切株のような椅子とは違って手すりと背もたれの付いた立派な椅子だった。「お誕生日席だ」と笑うお琴に続いて「それ壮太君が作ったんだよ」と一花が言った。平日に壮太と一緒になった時にこの机と椅子を持って来たんだそうだ。「えーすごい座り心地めっちゃいいよ」と驚く香に一花は続けた。

「DIYが趣味なんだって」
「へーそうなんだ」

「すごくない?売れるよね」

とお琴が言うと一花が答えた。

「道の駅で売るかもって言ってたよ」

「道の駅?帰りに寄ろうよ」

お琴の言葉に香も一花も「行こ行こ」と同意した。

ミーちゃんの食事は一花の側に置いた。前にミーちゃんがお琴を刺したからなんとなく香はそうした。すぐにミーちゃんは食べ始めて、そしてあの兄弟が来た。
「ネコなに食べてんの?」
とさっき叱られたことなんてなかったかのように人懐っこい兄の太一が訊いてきた。香はミーちゃんをいじめに来たかと身構えながらも、
「この子の名まえはミーちゃんよ。キャットフードを食べてるの」
と答えた。
「ミーちゃん」
と弟の信二が呼んでも食事に夢中のミーちゃんは相手にしない。そこへ父親の大きな声が響いた。
「太一!信二!ごはんを食べなさい!」
二人は反射的に両親の元へ戻っていった。

香は食べようとして(あれ?)と思った。お琴と作った人参と大根の甘酢和えに緑の葉野菜が混ざっているのだ。
「それね間引いた野菜の葉っぱなんだって」
とお琴に言われて食べてみるとおいしい。思わず香の顔がほころんだ。間引かれた野菜が大きく育つことは許されなくてもこうしておいしい料理になっていることが嬉しかったのだ。
「こっちにも入ってるの。何も無駄にしないのよね」
と一花に言われて見ると、きのこと小松菜の炒め物にも壮太の作ったスープにも間引いた野菜が入っている。一花の言葉に香は心が熱くなるのを感じた。無駄なものなんてない。それはまるで社会から間引かれた自分でも無駄な人間ではないのだと言われているように聞こえたのだ。

採れ立ての野菜を使った料理はどれも美味しかった。三人でいつものように他愛のないことを話しながら楽しく食べていたのだけど何気なく一花がミーちゃんを撫でようとした。その時、事は起こった。ミーちゃんが一花を刺したのだ。ミーちゃんの爪は針のように鋭く伸びていたから一花の手から血が噴き出した。楽しさは一変、冷水を浴びたように香の血の気はひいた。
「一花ごめんね」
と泣きそうな香に、
「食べてる時に触ったからじゃん?水で洗った方がいいよ」
とお琴が冷静に言った。
「香、気にしないで」
と言いながら手を洗いに行く一花に香もついて行った。でもすぐにお琴のところへ戻って来た。
「一花は?」
と心配するお琴に、
「実紀さんが来て消毒するって連れてった」
と力なく答えた。「猫なんか連れてくるから」と嫌味を言われたことは言わないでおいたがしょげる香から察したのかお琴は、
「香は悪くないって。気にしなくていいよ。それよりデザート食べよ。チョコパン焼いてきたんだ」
とパンをテーブルに並べた。練り込んだチョコレートがマーブル模様を描くミニパンだった。お琴のパン作りの腕はぐんぐん上がっている。食べるたびにパン作りが上手になっていくお琴。そしてすっかり畑になじんでいる一花。香はどうしても居場所のないダメな自分という思いをぬぐいきれない。

戻って来た一花と三人で食べたけど甘いはずのチョコパンは自己不信に陥った香に甘くなんて感じられなかった。とそこで「ギャー」と子どもの泣き叫ぶ声が響いた。

何事かとみんな手も口も止めた。立ち上がって見回す人もいた。そこへ信二と同じ小学校二年生の瑠奈(るな)が走って来て母親に抱きつくと、
「たいちゃんが」
と言って泣き出したのだ。瑠奈は星野さん家(ち)の三人兄弟の真ん中の子だ。お兄ちゃんの空(そら)は太一と同じ小学校五年生、弟の光(ひかる)は幼稚園児で五歳。ご飯を食べ終わった子どもたちは一緒に遊んでいたのだ。母親になだめられた瑠奈は落ち着きを取り戻すと、
「たいちゃんが木から落ちた」
と言った。それを聞いた太一の父田中は一目散に走り出した。あの大きな木に向かって。そう、香が壮太から九字切りを教わったあの樹齢四百年の大楠だ。

木の下では寝転がった太一が、
「いたいよう」
と泣きわめいていたが駆けつけた田中は、
「おまえ何やってるんだ」
と怒鳴りつけた。
「おとうさんいたいよ足がいたいよう」
と泣きじゃくる太一に「折れたか」とつぶやくと、
「木になんか登るからだ」
とまた怒鳴りつけた。するとそばで泣いていた信二が太一をかばうように言った。

「おにいちゃん光くんを助けようとしたんだよ」

信二の指差すほうを見上げるとなんと瑠奈の弟の光が枝にしがみついて下りられなくなっていた。その枝の根元である幹のところにはお兄ちゃんの空がいる。遅れて駆けつけて来た光のお父さんである星野が、
「おまえたち下りてこい」
と叫んだが光は動けないまま「こわい」と泣いている。そんな弟を助けようと空が近づこうとするが光のいる枝はかなり細くて空の体を支えられない。落ちそうになる空に、
「空やめろ、お前まで落ちたらどうすんだよ」
と星野は必死に説得した。すぐに大人たちが木の下に集まって「下(お)りな」と口々に言い始めた。それで空は大人しく下りて来た。しかしお兄ちゃんがいなくなって木の上に一人取り残された光はますます泣き叫んだ。

「光ぶら下がって落ちろ。下で受け止めるから」と星野が光の真下に立った。ほかにも何人かの男性たちが光がどこに落ちても受け止められるようにと下で待ち構えた。

「やだこわいー」

「大丈夫。まずぶら下がって、そう、そのまま手を放せって」

光は父親に言われるままに目をつぶって南無三とばかりに枝から手を放した。うまいこと父親の上に落ちて来て星野は尻もちをつきながらも受け止めた。みんなから安堵の歓声が上がり拍手が起こった。

一方、太一に救急車は呼ばれなかった。奥深い田舎だから救急車が来るのは遅い。救急車を待つより病院へ連れて行った方がいいと杉野が言うのだ。田中はてきぱきと泣きじゃくる太一の足に枝を添えてタオルで縛った。「いたいよう」と叫び続ける太一であったが「静かにしろ、今から病院へ行くから」と大きな父親に軽々と肩へかつがれたらピタリと静かになった。その時母親にしがみついていた信二が叫んだ。

「ネコのバチが当たったんだ!」

それを聞いて香は息を吸ったまま吐くことが出来なくなった。香たち三人も木の下にいてもちろんミーちゃんも香の足元にいる。みんなから隠すようにミーちゃんを抱き上げると香は俯いた。そんな香に「気にしなくていいって」とお琴が言い太一の母親も「気にしないでね」と声をかけた。しかし「気にしないで」と言われれば言われるほど気にしてしまう香は顔を上げることが出来なかった。そんな香の胸の中で元凶とも言えるミーちゃんはいつものように可愛い声で「みー」と鳴いたのだった。


つづく


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