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霊性での「意志」

“ 神は彼らを祝福して言われた。

「産めよ、増えよ、に満ちてを従わせよ。
海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」”
  創世記 1:28


 霊性の探究・実践の道における「意志」の役割についての #思索の備忘・メモ

ようは、霊性、智慧・慈悲の実践において重要なのが意志の働きということです。
人間の意識、精神の活動、神経生理の活動を霊性に向かわせ、霊性の実践・適用に向かわせるのが意志であるということです。




「意志」の役割(信仰心、菩提心)

 人間の意識・精神の活動、そして行動を智慧・慈悲に向かわせるのが「意志」であると考えられます。

この瞑想する人noteで「信仰(信仰心)」「菩提心」という用語を使用するときは、それにこの意志が含まれます。

何か特定の宗教や神や経典、ドグマ教義を「真理である」と信じることではなくて、意志によって霊性を求め、霊性を実践適用しようとすることこそが信仰であり、菩提心・勇猛心であるということです。


 この瞑想する人noteでの霊的な実践としているものを「金剛大乗」としています。

マガジン


 洋の東西、伝統、新興、カルト問わずに多くの宗教に見られる「外なる」神・神々への信仰と戒律ではないです。
むしろ、人間自身の意識、「内なる」霊性へと向かおうとするものです。

この瞑想noteでは今のところは信仰・思想・実践については、「智慧・慈悲」しかありません。
これをもって霊性とし、霊性の実践としています。


 内なる霊性に向かうといっても、内にこもるようなものではないです。
霊性の実践において、内なるものを礼拝することは、外なるものを礼拝することにも通じるだろうと思われます。

関連note:【バクティ】信仰・礼拝の対象について


 この瞑想する人noteでやっていることは、所詮はスピリチュアルに過ぎませんが、「外なる神、外なる信仰」ではなくて、自らの内に向き合うという点では、とくに仏教やヨガ思想、ウパニシャッド・ヴェーダーンタなどのインド発祥の思想のいくつかには、私は敬意と興味を抱いています。


 この実践において、人間の意識・精神の活動、そして行動を智慧・慈悲に向かわせるのが意志であると考えられます。

意志の働きによって、自らの霊性に向き合おうとし、智慧・慈悲を実践すべきであるということです。


意志の大切さ

 霊性、智慧・慈悲を、意識・精神の活動、身体の活動に適用しようとするのが意志だと考えられます。


 一部の例外的な人たちを除いては、「自然状態」にあって人間は、どちらかというと霊性、智慧・慈悲ではなくて、エゴや情動にさらされ翻弄されやすいと言えるでしょう。

この理由の一つとしては、「個我」と「物質的な身体、肉体」があげられるでしょう。

つまり個我があり、自分と他者が明確に分けられており、そして、個我の欲求・肉体的な欲求があるからです。
自己の生命の維持、種の保存・繁栄、物質的・肉体的な生命活動の反応や嗜好、欲求、、、、といったものの影響力が強いからです。

そのため、人間がエゴや情動の影響に容易にさらされ翻弄されるというのは、たしかに「自然」なものだとも言えるでしょう。


 霊性の探究、智慧・慈悲の実践において、意志が大切な要素であると言えるのは、こういった人間の「自然」な傾向ゆえだと思われます。(→ 発菩提心出世間


意志による抑圧なのか?

 ちなみにですが、霊性と物質・肉体を対立的に捉えて、とくに霊性に対して物質・肉を悪しきものと否定的なものとし、それを信仰や教義の基礎においてしまうと、グノーシス主義みたいになることがあるかもしれません。

私としてはグノーシス主義に見られる見解の多くは斥けたいと思っています。

関連note:「グノーシス主義」と神秘体験(宗教的体験) ―― その問題について


 さて、意志によって霊性、智慧・慈悲を、人間の意識、精神、身体の活動に適用しようとすることは、人間の自然な情動や欲求を否定したり抑圧する不自然で不健全なことだと言えるのでしょうか?

これについては、私の思索が不十分でなんとも言えません。
抑圧といったこともありえるのかもしれません。

しかし、「昇華」「転換」といったメカニズムが、人間の意識ー神経生理にはあるのではないかとも考えられます。

つまり否定や抑圧ではなくて、昇華や転換が、霊性の実践においては本質的な理解に近いのではないかというものです。

とくに密教、生命エネルギーの体系では、このような昇華や転換が説かれてはいます。


密教(ヨガ・チャクラ、生命エネルギー)的な説明

霊性、智慧・慈悲を、意志によって適用するというのは、ヨガの「チャクラ」「生命エネルギー」といった密教の観点からも説明することができるのかもしれません。


ヤブユム(歓喜尊):グヒヤサマージャ・マンジュヴァジュラ(文殊金剛)

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チャクラ

智慧・慈悲ではない「低位」の情動や欲動、、、、をヨガなどで言うところの低位のチャクラと関係が深いものとして説明するのです。

「低位のチャクラ」は第1~第4チャクラが該当すると思われます。
特に第1~第3チャクラです。

ハートチャクラなどと呼ばれる第4チャクラについては、情操・情動、想像力、愛・愛情などと関係するとされます。
これは人間の心身の諸活動のうちで、「地」に属するが、精神・想像力を通して、より精神性・霊性的なものへと向かい、昇華・拡大される通過点という見方もできるかもしれません。

これら低位のチャクラの意味するものは、必ずしも霊性の探究にとって悪影響とするのはマズいのでしょうが、しかし障害といった面もあるように思われます。


ちょっと占星学的な表現を使うと、これら低位チャクラに対応するものについては、、、

「地」「肉」の軛(くびき)に縛りつけ制限する影響力としては土星的である。
肉体的、感覚的・感情的な快楽、楽しみ、享楽、「世俗的な喜び」によって翻弄するものとしては金星的である。
心理や情緒の気まぐれや動揺、感傷、それらのタマス的な影響力などについては海王星的である。
激情や獲得のための追求、ラジャス的なところについては、火星的である。

、、、と表現できるかもしれません。


 第5チャクラについては、「意志」と関係が深いとされるかもしれません。
つまり、「自然状態」にあっては、人間は、「地」「肉」に属する影響力つまり第1~第4チャクラが意味する情動や本能、欲求にさらされている状態だが、第5チャクラの段階にあっては、意志によってその状態とは違っているということです。


生命エネルギー

 中央気道やクンダリニーの活動を、神経生理的な身体感覚・体験としてではなくて、あくまで思想的な次元で表現して説明するのなら、これは意志に関係すると言えるかもしれません。

 エゴや低位チャクラの影響力を斥け、霊性を求め、それを自らの意識・精神・神経生理の活動、態度、行動に適用し実践しようとする意志が、中央気道や生命エネルギー(クンダリニー)の上昇を意味し、
 その霊性の実践や体験による歓喜が、生命エネルギーの下降(甘露・アムリタ)を意味する、ということです。


魔境との関係

 霊性の探究の道において、エゴや低位チャクラの影響力が統制されない場合には、それは魔境のリスクに関係すると言えるのかもしれません。

関連note:『魔境』の話① 瞑想・ヨガ・生命エネルギーの実践における魔境


生命エネルギーの実践であれ、集中的な瞑想リトリートサイケデリクスであれ、内的体験を重視したり、神秘体験が生じるような実践では、霊性を求める意志を大切にしたほうがいいかもしれません。


関連note:密教の資格。密教との関係で顕教について