見出し画像

【良い初夢を!】 宗教儀式で神に呪われた夢など、笑、夢の話。夢日記。

良い初夢を ということで、瞑想に関係なく夢の話です。

私は10代前半には明確に瞑想したいという衝動を感じており、その関係で、宗教、オカルト、スピリチュアル系の情報にも多く触れてきました。

しかしその割には宗教的、スピ的な内容の夢は、ほとんど見ないです。 
その数少ない宗教スピ系の雰囲気のある夢の中で記憶にあるものをnoteにします。

【良い初夢を!】というわりには、最後に紹介するのは神の呪いを受けた夢ですが、笑。
ガムラン音楽の流れる宗教儀式で、粗相があって神に呪われる夢です、笑。

とにかく良い初夢を!来年は良い年でありますように!

関連note、夢や明晰夢について ↓ ↓


水晶を探し求める夢

もうかなり前から、水晶を探し求める夢をしばしば見ます。

画像1

設定はいろいろで、みやげ物店、雑貨店、デパートで鉱物を扱ったコーナーなどで、水晶以外の鉱物には一切見向きもせずに探し求めるのです。

求める水晶の特徴はいつも決まっていて、紫水晶や黄水晶ではなくて無色透明の水晶のクラスターであり、アーカンソー産やブラジル産によく見られるように、結晶のポイントが大きくて透明度が高いものです。

画像2

水晶コーナーであれこれ眺めるのですが、いつも形、大きさ、透明度に不満があって欲しいものが見つからずに探している最中に夢が終わるのです。

チベット仏教からみの夢 ―― ダライ・ラマ、ツォンカパ、ヴァジュラバイラヴァ

瞑想は中国の気功(内丹、仙道など)でもインドのヨガでも、その他の精神的・宗教伝統でも行われています。
私自身は、チベット仏教ばかりに強い思い入れはありません。

なのに私の夢の中には仙人も、シャンカラもヴィヴェーカーナンダも禅僧もイエスもヨハネも、大天使もシク・ナーナクも登場したことがないのに、チベット仏教(ゲルク派)のキャラクターは登場したことがあります。

⚫ 今月19日の朝の目覚め直前の夢だったと思います。

市民交流センターかデパートのような大きめの建物の中にいました。
催事スペースを見学していて、テーブルの上に並べてある多くの雑貨を眺めていました。

水晶もあったのですが、クラスターは無くて透明度も低いものばかりだったので他を見ると、手の親指くらいの小さな像の置物が目につきました。
仏像のようでした。

手に取ると座っている仏教徒の像でした。とんがった帽子をしていて、これはチベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパの像であるという考えが生じました。

他にも手に取ってみると今度は、手脚が何本もある水牛の顔の忿怒尊ヴァジュラバイラヴァの像でした。

「魔除けにでも持っておくか」と思って、ヴァジュラバイラヴァの小さな像を買おうとしたところで夢が終わりました。

関連note:ヴァジュラバイラヴァの詩


他のnoteにもありますが、ダライ・ラマ14世が登場する夢です。

これは2年前の冬だったと思います。
この頃は、酷いうつ不安から瞑想によって抜けだしてからしばらく経った時期です。

記憶が確かなら、東南アジアのどこかにいる場面の後に、暗い空間の中にいる夢の場面になりました。

その暗い空間の中にいると、ある時ポウッと浮かび上がるようにして赤と黄色の法衣をまとった僧侶が一人現れて笑顔で近づいてきました。

それはダライ・ラマ14世でした。

一言も会話がなく、笑顔のまま片方の手にのるサイズの紫水晶(アメシスト)のクラスターを手渡してきたので、私はそれを受け取りました。

その紫水晶は、形も良くて、結晶ポイントも大きく、透明度も高く、そして夢の中の暗い空間でキラキラと非常に綺麗に光り輝いていました。

そこで夢は終わりました。

確か、目覚め直前の夢で、かつ鮮明な夢であり、目覚めた後もその紫水晶のキラキラした非常に綺麗な輝きは強い印象が残っていました。

 現実世界でダライ・ラマ法王と会話することなんて、一生ないとは思うのですが、もしそういうことがあって「実は夢の中でお会いしたことがあるんですよ」と話したら「あぁ、あの時の君か。紫水晶は気に入ってもらえたかな?」とか言われたら、ビックリするんだけどなぁ、。笑

関連note


宗教会議の夢

これは酷いうつ不安になる前の、随分前の夢です。

とても広い会議場のような空間に20人~30人くらい集まって、半円状に階段のような段差のあるところに座っていました。

キリスト教や仏教、イスラム教、ヒンドゥー教など様々な宗教を信じている人々が集まって宗教会議をしているようでした。

宗教は平和どころか争い、偏見、迷信、抑圧などの原因になっていて、それをどうすべきかということについて話あっているようでした。

私は「宗教は迷信なのだから、信仰を捨てればすむ話ではないか」と心の中では思いながらも口にはださずに、立った状態で司会役をしていました。

皆が自分の信じる宗教こそが真実であると主張し続け、口論に発展し騒がしくなったので、私は「宗教は平和を説くはずです!もっと静かに話し合って下さい!」と声をあげました。

出席者はしばらくは表面的には冷静になったようですが、ある時、神父か牧師かやってそうなキリスト教徒の高齢の白人男性が、前方に座る仏教徒のアジア人の中年女性の背中に、丸めたティッシュを投げつけました。

それでまた収拾のつかない騒乱状態になりました。
私は「こいつら、どーしよーもねぇな」と呆れていました。

すると、数多くの従者を引き連れた人物が現れ、こちらに近づいてくるのに気づきました。
近くの従者がその人物のために日傘をさしていて、非常に高貴な身分のようでした。

その人物は、頭には濃いラピスラズリのような青色のターバンをしており、同じ青色のローブをまとっていました。

男性で、人種的にはアフリカ系のようでしたが、宗教はインドの宗教(ヒンドゥー教かシク教)に属しているようでした。

非常に綺麗な瞳をしており、その人物の全体的な雰囲気としては深い静けさが とても強く感じられ印象的でした。そして高貴さ。
さらに慈悲と英知を感じさせる形容しがたい雰囲気がありました。

私は「この人なら、この会議をまとめられる」と思い、その場を離れることにしました。
出席者に背を向け、わざと聞こえるような声で「宗教信じる奴らは、どうしよーもねぇ偽善者ばかりだ」と吐き捨て離れようとしたところで夢が終わりました。

あの人物の静けさと高貴さ、形容しがたい雰囲気は目が覚めてからも、しばらく印象に残るほどでした。

関連note:私なりの無記・中道の模索② 宗教の信仰


神に呪われた夢

これも随分前の夢です。神の呪いを受けるという内容のため、笑、、よく覚えています。

雰囲気としてはインドネシアを連想させるもので、どうやら天気の良い屋外での宗教の儀式のようでガムラン音楽が演奏されていました。

右前方に私の師がいて、私と2人で神を迎える広い祭壇のスペースの前に、身を低くして座っていました。

この儀式は仕えるべき神を迎えて契約を結ぶというもので、後方で演奏されているガムラン音楽は、その弟子の霊的な性質や役割に適したものが師からおくられる「継承音楽」「継承曲」と呼ばれるものでした。


しばらく祭壇の前で身を低くして座っていると、右後方からドスーンッ!ドスーンッ!と大きな振動を感じました。

振り返ると、大きな白い象が近づいてくるのが見えました。その背中には白い神像が乗っていました。

私たちの目の前の祭壇のスペースの中に入ると、その神像は動き出しました。その白い神像の姿形は藤子不二雄Ⓐの漫画、アニメ「笑ゥせぇるすまん」に登場する「喪黒 福造」になんとなく似ていました。

その神像は「私を祀ってくれよ」「私に仕えてくれよ」と言いながら、象にひっつき その身体中をちょこまか這い回っていました。

ここで何らかの応答をしなければならなかったようです。
しかし私は「仕える神が違う。この神ではない」と思い、身を低くし顔を伏せたまま黙っていました。

すると前方にいた師は「粗相があった」と思ったようで、一目散に空を飛んで逃げ出しました。
私もその後を追い、飛んで逃げました。

儀式の手順を間違えたり、神との契約において粗相があると、神の呪いを受けるようでした。

師と共に暮らす庵がある場所に着きました。師は既にその中にいるようです。

画像3

その庵の建物の周囲には数多くの草木がありました。
それらの植物の内で、ただの観賞目的で植えられているのは一つとしてありませんでした。雑草も生えていませんでした。

食用や茶になったり、ハーブ・薬草として用いることができたり、霊的にある段階に達していない者が触れると皮膚かぶれを起こしたり、魔除けや儀式に使用したりなど、どれもが何らかの用途がありました。

この庵全体が、それらの植物によって、霊的防護、結界がはられているようでした。

画像4

中に入ろうと庵に近づいていくと、師が出てきました。
神の呪いが間もなくこの庵にも及ぶようで、私を放って どこか遠くに逃げるようでした。

「師よ助けて下さい!私を助けて下さい!神の呪いを解いて下さい!」と懇願しました。
しかし師は一言も発せずに黙っていました。

神の呪いを解くことが出来ないようでした。
私は自分の師に失望を感じました。

師は私に地図を手渡し、どこかに行ってしまいました。
どうやらこれに示されているところに、神の呪いを解くことができる強力な霊的指導者がいるようでした。

私は地図に示されたところに旅立とうとして夢は終わりました。