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密教について② 密教の方向性

今現在 瞑想は広く行われ市民権を得たかのようです。
実践する人の多くは、瞑想に宗教的・超俗的なものを求めているわけではないようです。

それよりも心身の健康や安定、創造性向上などクオリティ・オブ・ライフに資するものを求めていることの方が圧倒的に多いと思います。

【 瞑想の効果 】瞑想する人の体験から【 無意識と創造性も 】

瞑想が、その宗教性から離れ、個々人の生を豊かにするために、人間社会に利するものとして実践されるのは、まことに正常で健全なことであると思います。

宗教的な土壌で培われ、しばしば超俗的な目的を達成するために実践されてきた密教も、そのように現実を向くべきだというのが、この「瞑想する人」note での密教の方向性です。

密教について① 起源と問題点

用語解説「密教」「生命エネルギー」「内なる意識」など

参考・引用文献

(* ) は引用文献です。

(* ) アンドリュー ニューバーグ 、ユージーン ダギリ 他著 茂木健一郎 監訳
脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス』 PHP 2003

バーバラ・ブラドリー・ハガティ (著) 柴田 裕之 (訳) 『聖なる刻印---脳を変えるスピリチュアル体験』 河出書房新社

密教の方向性

密教は宗教と共にあったと言えます。密教による特殊な心身の状態、意識体験は宗教的体験、神秘体験として宗教的に解釈されやすい性質があるからです。

むしろ宗教の始まりは、祈りや瞑想、修行によるものであれ、側頭葉てんかん発作によるものであれ、何かの気まぐれによるものであれ、教祖、開祖の宗教的な直接体験だったことも多いはずです。
密教だけでなく、本来は宗教も直接体験と親和性があるものです。

直接体験によって、この物質的な世を超越した実相を得たいという希求が、例えばエジプト、ギリシャ・ローマなら秘儀・密儀宗教、キリスト教やイスラム教など各宗教の神秘主義、そして東洋の密教に如実に表れていると感じます。

この中で最もスマートなやり方だと感じているのが、密教です。

人体には、密教によって生命エネルギーの活動を生じさせ特殊な心身の状態、意識状態を顕現させる脳・神経生理システムが存在するとするのが、この「瞑想する人」note の主張です。

どうしたわけだか、進化の過程でそういった生物学的メカニズムを人体は備えるようになったと考えます。
つまり、今はまだよく分かっていないことが多いけれども、人間の能力、人体の機能なわけです。

そこでふと思うのですが、今まで密教は宗教と親密だからといって、宗教的な目的だけに実践されなければならない と言えるのでしょうか?

「当たり前だろ」と宗教やスピリチュアルの人達は言うかもしれません。「超越的な目的以外に何があるんだ?」と。

しかし、魂とか超俗的な実在などを前提としない限り、宗教的な目的だけに、という主張の根拠は無いわけです。
そしてそういった前提は、あるのか無いのか分からないので、論拠にしようが無いわけです。

神様にでも聞いてみたいのですが、ペスト、天然痘、インフルエンザが猛威を振るっても、フン族やモンゴル軍が暴れ回っても、立て続けに2度も世界大戦が生じても、米国と中国の仲が悪くなっても何があっても、、神は眠っているのか、天使達を引き連れてピクニックにでも行っているのか、それとも人類に愛想を尽かしているのか、、本当に死んでしまったのかは分かりませんが、もう随分と長い間 黙りこくったままです。

私は思うのですが、物理的な人体の機能にあるものは、人間の存在するこの物理的な世界に適用できるのではないかということです。
それがモノを掴むことであれ、発声であれ、生命エネルギーによる特殊な心身の、意識の状態であれ。

私が関心を持ち、瞑想のように密教も現実を向くべきだと考えるのは、このことを言っているのです。

私自身は瞑想・密教に対して、主に次の方向性で臨み模索しています。

・内なる意識の探究

現実社会への適用

内なる意識の探究

内なる意識の探究」は、私にとってなかなか根が深いものです。
私は子どもの頃から瞑想本能が強かったです。瞑想によって心の奥深くに沈み込んでみたいという衝動が強かったです。

自分でもこの衝動は一体何なのか?この衝動の源に一体何があるのか?しばしば自問自答しつつも、わけが分からなかったです。

瞑想本能!?瞑想は本能だと思う!!


さらにもう一つ、私の心を捉えた問題がありました。
なぜ私は私なのか?」の疑問です。

“「なぜ私は私なのか」(なぜわたしはわたしなのか、英:Why am I me ?)は哲学の一分野である形而上学、または心の哲学の領域で議論される問題のひとつ。この問題は様々な形で定式化されるが、最も一般的には次のような形で表される問題である。

世界中に今現在 沢山の人がいる、また今までに数多くの人が生まれてきて、これからも多数の人が生まれてきて死んでいくだろう。しかしそれにも拘らず「なぜ私は他の誰かではなく、この人物なのか?」(Why am I me, rather than someone else?) ”
               Wikipedia:なぜ私は私なのか

子どもの頃、この問題にとらわれると、頭が混乱してきて、息が詰まるような、他の世界に行ってしまうような、自分が無くなってしまうような不思議な感覚が生じることがありました。

祖母と二人で夕方 散歩している時に、唐突に「ねぇ?なんでボクはボクなの?なんでボクはお祖母ちゃんじゃないの?」と聞いて、困らせたことがあるのを今でも覚えています。

今これらについて思うと、私は子どもの頃から「意識」の探究といったものに関心があったのだと思います。
子どもの頃からの瞑想衝動も、「なぜ私は私なのか?」も意識の探究に関係のあることだと考えています。

私にとって、これはもう理屈ではないです。「そういう関心をもって生まれた人間なんだ、俺は。」というものです。
意識の探究によって何が得られるとかは 二の次です。とにかく自分の内なる衝動に従って探究するわけです。

そして探究すべき意識は「内なる意識」であると直感的にも感じています。

瞑想による癒やし――内なる意識の治癒力 [ 仏教の成立についても ]

私は内なる意識の探究に、瞑想と強力な方法である密教によって 臨もうと考えています。

現実社会への適用

現実社会への適用」の方向性というのは、密教の実践や内なる意識の探究によって何か得られるものがあるのなら、それを現実社会に役立つものとすることはできないか、ということです。

密教は宗教的な目的達成のために実践されてきました。しかし私は宗教に対する敬意が薄い人間です。
「人間の原罪と救済の現代的意義」とか「神の唯一性」とかよりも、スマホの電波状況とか、冷蔵庫の中が冷えてるかとか、トイレの水がちゃんと流れるかといったことの方が、「心の平安」に直結するような人間です。

私はモクシャ(解脱)には関心ないです。

私にとって確かなのは、密教的な体験というのは、人体の機能としてあるということです。
ヒトの生物学的基盤の中に、この体験の根拠があるということです。

密教的な体験、生命エネルギーの体験とは少しニュアンスが違うかもしれませんが、こういったことに関しての神経学者による考察があります。

“ ...... 神秘体験の生物学的な起源は、われわれの脳の超越の機構の中にあり、このことは、...... すべての神秘体験に当てはまると考えている。”(* p.183)

“ ...... 生存確率を高めるための実用的な器官として進化してきたはずの脳が、神秘家としての天分などという、いかにも非実用的に見える能力を備えているのはなぜなのだろう?
  ...... 進化過程の本質にかんがみて、絶対的一者の状態に到達すること自体を目的として進化してきたわけではなさそうだ。”(* p.184)

“ ...... 超越体験のための神経学的機構が、最初から神秘体験を目的として進化してきたと考えることはできない。それはおそらく、性的反応のための神経回路の転用から始まったのだ。後に、副産物としての神秘体験が大きな利益をもたらすことが明らかになった時点から、それに適した神経学的機構の追求がはじまったものと考えられる。”(* p.205)


副産物であろうとなんだろうと、どういうわけだか、とにかくこの物理的な世界での進化を経て、人間は宗教的体験(神秘体験)、密教的体験のための意識-脳・神経生理システムを備えるに到ったと考えています。

ならば超俗的な目的ばかりでなく、この物理的な現実の人間社会を利する方向で、密教を模索することもできるのではないかと思うのです。


ひょっとして、大げさかもしれませんが、人類の文明の進歩にも関わることかもしれません。

人間は発達した知性と精神性を この物理的な世界に適用することによって、高度な文明を築きあげてきました。

同じように、もし人間の内部には まだよく分かっていない意識領域があり、その意識領域から何か得られるものがあるのなら、、、それをこの物理的な世界に適用することが、人類の文明のあり方に何の影響も与えないと、断言なんてできるでしょうか?

内なる意識と人類の文明 ―― 瞑想、臨死体験(NDE)、幻覚成分、etc

まぁ、「人類の文明の進歩」とかを持ち出すと、大げさで、鼻息荒く、頭が熱くなってポカンとしてきますが、何らかの「思想の形成」といったことくらいなら、あり得るんじゃないですかね。

とにかく、宗教的な目的ではなくて、現実的な人間社会への適応という方向性での模索に強い関心を抱いています。

「密教について ①. 起源と問題点  , ②. 密教の方向性 」おわり