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巡り巡って届く想い

インスタとnoteをするようになって
テレビをまったくつけなくなった

わたしはもともとテレビはそれほど見なくて
見ると言えば、音楽番組
「奇跡体験アンビリバボー」
「世界仰天ニュース」

これくらいで、ドラマはほぼ見ない

でも、前から大好きで見ていた
「奇跡体験アンビリバボー」も
「世界仰天ニュース」も
ホントに、見なくなった

見たいなぁ~、とは思う
なのに、気づいたら時間が過ぎている
だから、たまにYouTubeで
誰かが上げているのを見る


「奇跡体験アンビリバボー」の中でも
“感動のアンビリバボー”が大好きで
このコーナーを見るたびに、心が震える
そして、まず、間違いなく泣ける

いつも

なんて世の中には素晴らしい人がいるんだろう

とか、あとは、決まって

こんなに頑張っている人がいるのに
私、なにやってんだろ

と、毎回思う

けれど、人間ってそうそう変われず
だいたいが“頑張ってるつもり”で終わる


この、“感動のアンビリバボー”を見てると
私は、毎回思う事がある

それは

人は、聞かなくてはいけない言葉
感じなければいけない想いは
必ず、巡り巡って
その人の耳に、魂に入ってくるのだ


という事

その言葉や想いが
どんな形で入ってくるのか
誰から入ってくるのかはわからないけど
その人が、これから生きていく上で
魂に刷り込まなければいけない
大切な言葉や想いなら
必ず入ってくる時が来る

という事


それは、きっと誰にでも身に覚えがあって

私も、家を出たからこそ
親のありがたみがわかるし
結婚して母親になったら、それはもっとで
どれだけの苦労をして育ててくれていたのか
そして、親から言われた言葉一つ一つが
当時はわからなくて反発ばかりだったけど
今となれば、いや、今だからこそ

あの言葉はこういう事だったのか

と、心底響く瞬間があり

それって、今、このタイミングだから
そして、今
ようやくその言葉を聞けるとこまで
私が成長できたんだ

という事なのだ



どんな大事な言葉を言われても
素直に聞き入れられない時は
何を言われても頭に入らなくて
拒否反応が起きてしまう

もしかしたら、頭ではわかっているけど
自分、自分、が大きすぎて
壁を作ってしまっているのだと思う

「わかってるし!」

と言う時は、だいたいそんな状態だ

それでも、親は人生の先輩であって
確実に、自分よりも
いろんな経験や挫折、苦労を味わっている
それは、間違いない事実だから
その人生の先輩である親が言う言葉は
必ず、心に留めなければいけない言葉なのだ

その言葉が、その時の自分にとって
“必要ない”と感じれば
素通りするかもしれないが
きっと、どこかで思い出す時がくる

その思い出す時が
自分が、また一つ、成長した証になる

その言葉を
深く感じれるだけの自分になったのだ
という事



“感動のアンビリバボー”で見た話しの中で
その人が、その言葉を巡り巡って受け取った時
その言ってくれた人は
もうこの世にはいなかった


「あいつは、ココに必ず来るから
その時は、必ず支えになってあげて欲しい
そして、こうやって自分が言ってる事は
どうか、内緒にして欲しい」


この言葉を、長い年月が経ったのちに聞かされ
そして、その時に初めて気づく
自分はどれだけ助けてもらっていたのか
自分の知らないところで
どれだけ自分の事を考えてくれ
周りの人にも協力を願い出てくれていたのか

たぶん、今、コレを言っても
そして、コレをやっても
その人が、ホントの意味で
その人の魂に響かない、と判断すれば
きっと、今は知らせるべきじゃない、と
神様が判断するのかもしれない

そして、自分の力でいろいろ乗り越えて
ようやくいろんなモノがわかった時に
そこではじめて、知らされる想いがある

その時に、もし、その想いの先の大切な人が
もうこの世にいなくても
それでも、それが、その人にとっての
タイミングなのだ

むしろ、その大切な人に
もうその感謝の気持ちを伝える事ができない
という強い思いこそが
その人が感じなければいけない想い
だったのかもしれない


人って、どうしても
いつもいる、と思えば、甘えるし
感謝の気持ちも薄れるし
それも、仕方のない事だとは思う

ホントは、この世にいる間に
いつもいつも感謝して
人の言葉を素直に受け止めて
それを自分の気持ちと
バランス良く汲みこんで
そうやって歩いてく材料にできればいいのに
人は、いつまでも生きれる、と
勝手に思い込んでるから、それができない


親孝行したいときには親はなし


とは、よく言ったもので
ホントにその通りだと思う

親だけでなくても
お世話になった人、にもだ


人間、未熟な間は
何度も、何度も同じ事を言われる
けれど、その
何度も、何度も同じ事を言うのって
ものすごいエネルギーがいるし
だから、そんな面倒な事を言ってくれる人は
親だろうが、他人だろうが関係なく
実は、とってもありがたい存在で
聞かされる本人からすれば鬱陶しい存在でも
それでも、大切にする価値のある人だ

ちゃんとした形で
ちゃんとした言葉で
面と向かってちゃんと言ってくれる

それは間違いなく
あなたの事を思ってくれている

だから、大切にする価値がある

けど、さっきも言ったけど
人の想いが、自分の魂に沁み込む瞬間は
その人の、タイミングがあるから

だから、そのタイミングを
手繰り寄せなくちゃいけないのだ
たぶん、何もしなければ
きっと、永久に響かない
だから、タイミングを
掴みに行かなくてはいけない

それはきっとその人の

なんかうるさい事言ってるけど
ちょっと考えてみるか

という、ほんの少しの素直な心から始まる

のだと、私は思ってる



私も、いつになるかわからないけど
大切な人の言葉が、その想いが
巡り巡って、いずれ届くその日まで

一ミリでもいいから
“素晴らしい人”になっていたいと思う






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