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必ずしも正論が正しいわけじゃない。というお話。
これはとある会社での先輩と後輩の会話。
※フィクションです
なにやらトラブルが発生したようです。
先輩「で、この問題に対して、〇〇(後輩)はどう対処したの?」
“この問題”というのは後輩の仕事にも間接的に関わってくる案件であった。
後輩「自分の目の前の仕事で忙しいので、そんなことやる時間はないです」
後輩は新しい業務の引き継ぎでバタバタしていた。
先輩「それは分かるけど、忙しいからって他は全て丸投げって姿勢はどうかと思うよ」
後輩「でも、僕が忙しいのはチームリーダーが判断を間違えたからですよ」
以前から後輩は自分の業務の忙しさから引き継ぎの件に消極的であり、チームリーダーに対しても申し立てをしていた。
しかし、実際には上司から相手にされずにそのまま引き継ぎが始まってしまったのである。
先輩「・・・分かった、とりあえずチームリーダーと話すわ」
先輩は後輩に対して何も言えずに会話は終了しました。
後輩の主張
今の業務が忙しくて新しいことを覚える時間がない
自分が忙しくなっているのは上司の采配が悪いから
たしかにこの部署は組織としてのまとまりがなく、上司もチームメンバーを完全にはマネジメントできてはいない。
なので、後輩の言っていることは間違ってはいない。
しかし、正論のはずなのになぜ違和感が残るんだろう?
しばらくそう考えていると、このモヤモヤの原因に気付きました。
たしかに後輩の主張は正しい。
正論だけど、ただ”正しいだけ”で終わっている。
自分なりの考えもない。
だから誰の心にも響かないんだ。
考えが発展しないまま完結してしまっているので思考のレベルが低く、他人には文句のようにしか聞こえない。
受け手からしたら「で?結局、君はこれからどうするの?」となるような主張だった。
正論で周りを黙らせるなんて誰にでもできる。
でも、壁にぶつかった時に本当に必要な考えは「それをやるためには自分はどうすればよいか?」であり、正論を盾にして人の責任にすることではない。
その考えを放棄してしまったら、その人の成長は期待できない。
どんなことでも他責ではなく自責で考えることが重要だと思った。
少し話が逸れてしまった。
最後に、僕が今回の話から得られた学びを書いて終わりとする。
正論で説得するには”正論を正論たらしめる自分なりの考え”が重要になる
仕事とは言え、お互い人間なのでぶつかる時もある。
他人に自分の考えを理解してもらうのは難しいことだと改めて感じた。
しかし、後輩の言い分を聞いて、「昔の僕みたいだな」と感じて少し微笑ましい気持ちになった。
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