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在宅勤務はやっぱり、難しい

在宅勤務という言葉は今や当たり前になった。
そういう意味では、たった2年少しだが、隔世の感がある。言うまでもなく、コロナ禍で世の中が一気に変わった。
この世の中とは、日本だけではなく、世界中であると言っても過言ではない。

私は、このブログにも書いてきたが、約30年前に創業した時は、在宅勤務からスタートだった。もっとも、この時代の言い方は、SOHOワーカーと言って、米国スタイルが日本に伝わってきたことがきっかけだ。
国土が日本より広い中で、車での通勤に変わるスタイルである。言うまでもなく、ネット環境が充実していないと出来ない。日本の30年前は、今のようなネット環境は存在せず、電話回線を使ったパソコン通信がようやくできるようになったころだ。今や当たり前に使っている電子メールすらない。
でも、考えてみたら、家にいながら、お互いが、パソコン通信で連絡を取り合って、仕事する。このスタイルは当時は画期的だった。
遠隔でコミュニケーションする手段が固定電話かFAXだけだった時代の事だ。携帯電話の一般的な普及が始まりかけてはいたが、これにしても、電話のみの機能だった訳である。
思い起こすと、少なくとも30年前には、在宅勤務を求める、チャレンジする機運はあった訳である。
私は、オフィスを借りるコストを節約したかったので、いわゆる秘書代行業で登記だけしておいて、あとは、自宅で仕事する経営スタイルを選んだ。根底には、自由度が高く世の中の仕組みに縛られずに仕事しようと言う考えもあったと思う。

創業して、1年後に、阪神大震災に遭遇した。そのまま在宅勤務を継続するのが普通の考えだと思うが、そういう千載一遇の体験をすると、発想も変わる。オフィスも借りることにした。

そうこうしているうちに、会社の仕事が超忙しくなって、勤務スタイルをどうこうする前に、今ある、増大する仕事をこなすために、毎晩、オフィスで侃々諤々の毎日になった。

そして、数年たった頃に、東京進出を決めた。
ここで、再び、遠隔地とのコミュニケーションの解決が必要になった。ほどなく、神戸と東京に月50万円程する専用回線を引いた。これまた、専用のTV会議システムを使うためだ。必要に迫られて、オンライン会議が日常になった。
そして、ベトナムでも同じように、オンラインで仕事するようになった。

この頃には、ようやく、ベトナムもなんとかインターネットが使えるようになってきた。20年ほど前の事だ。在宅の経験が活きたと言うほどではないが、私たちは、東京と神戸とベトナムとの遠隔地と、オンラインで仕事をすることが当たり前になった。
とはいえ、基本は、それどれの拠点にオフィスがあり、社員が集まり活動しているのがベースだった。一方、進化するネット環境を背景に、オフィスの外、つまり、それは必ずしも在宅ではなく、カフェやホテルのロビー、空港内などからのコミュケーションが当たり前にできるようになった。

私も、国内外問わずどこからでも、スマホなどで、仕事するようになった。もうこういうスタイルで10年はとっくに過ぎている。この時期に書いた拙著には、在宅勤務というより、これからはオフィス外勤務が当たり前になると書いた。

私の予想を超えて、コロナ禍が拍車をかけた。いろんな制約の中、在宅勤務の問題が浮き彫りになった。3年近く新体験が続いている。
そして、あることに気づいた。在宅勤務は何かと難しい。私もかつて色々なスタイルを経験してきたが、やはり、在宅勤務は難しいと思う。

そもそも最大の原因は、狭い空間であるということだろう。庭つきの豪邸ならいざ知らず、一般的には、ワンルームの人が圧倒的に多い。こういうところに、1日ずっと、仕事で張り付くのは無理がある。
また、周囲の目がないので、人間は緩む。集中力の維持も難しい。だから、私の勧めたいことは、自宅に近い所でのオフィス外ワーク。今、こういうテレワーク仕様の場所は増えつつあるが、本当にテレワークを充実しようと思えば、こういう社会資本は圧倒的に不足しているのが現状である。

流石に、大きな先行投資になるので、あと10年は必要かもしれない。そういう意味では、オフィスワークとどう上手に併用するかの時期がしばらくは続きそうである。

以上