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仕事の仕上がりをどうするかはいつになっても難しい

仕事は時間との闘いである。
こういう状況からは、何年仕事しても、抜け出せない。
経験を積んでくると、自分の得意領域については、最大パフォーマンスできる域というのが分かるようになる。だから、心底、常に最高のものを仕上げたい。
感覚的には、モノづくりだと分かる人が多いと思うが、仕事は必ずしもそうではない。どんな仕事でも同じだ。

私の場合は、今は経営者という仕事で、経験のある人にはわかると思うが、専門職の様なイメージがあるが、総合職の方がより近い。
もっとかみ砕いて言うと、何でも屋である。

そして、一番の重要な事は全てにおいてラストパーソンであるということだ。これは、債務保証付きの創業社長であれば特に共通するところだと思う。こんな立場で仕事をしていると、そもそも、最高のパフォーマンスというのは実感がわきにくい。もちろん、好決算とか、ビッグな受注とか、新商品のヒットであるとか。色々とあるだろうが、経営者の仕事と言うのは、何年やっても、専門職とは思えない。

一方、私も毎日のように、新規事業の創造や新商品・新サービスの開発にも関わる。時として、現場のプロジェクトのメンバーとしてサポートに入ることもある。
そうすると、自然と、チームで達成するべき目標と自分ができるレベルというのが意識に入る。
今の私は、他には、本を創る、情報マガジンを企画するという仕事も並行している。

どんな仕事においても、仕上がりのイメージを持って、進めていく。そして、当たり前のように、どんな仕事にも原則納期がある。
逆に納期がない仕事をしているとしたら、締まりが無くなり、良い結果は得られないのは明白だ。
なぜなら、人間は期限設定されてこそ、集中力も増すし、良い知恵も生まれる。

だが、納期があるがゆえに、結果的に仕事は時間との闘いになる。このあたりの葛藤というかもがきがあるから、終わってみたら、結果によらず、そう快感がある。つまり、やりきった爽快感だ。これはプロセスに満足したかどうかに近い。

まあ、こういう風に書いてみても、実に、この納期が迫る中で、何かを仕上げる時の、心の中、気持ちの持ちようと言うのは、表現が難しい。

最大の理由は、キャリアを積めば積むほど、よく似た仕事をすればするほど、妥協という悪魔のささやきが顔を出す。
時として、もう一人の自分が、話しかけてくる。もう、十分今回の目標は達成している。顧客はこの内容でとても満足するはずだ。こんな葛藤の中で期限が迫る。
まあ、こんなことを繰り返しながら、知らず知らずに、仕事のスキルは向上していくとは分かっていても、毎回こういうジレンマに陥ることが多くなった。

今、本を連続的に出版しようとして、幾つかの本を並行して制作している。そうすると、おおよその納期はあるのだが、自社の出版会社だと、比較的柔軟に納期は変更できる。
これが原因だと思うが、集中力がなかなか発揮できない状態に陥る。
やっぱり、人間は、外からの強制力は必要だと思う。

本と言うのは不思議なもので、仕上がり感というのは結局は自分の納得がすべてのような気がする。もちろん、読者意識はあるが、ただ、誰が読むかは基本的には分からい。

農家のこだわりの話もよく耳にする。農家さんが納得する野菜。最近は、農家さんの顔が見える販売の方法が広がりつつあるが、農家さんも、食する人の顔を意識していると言うよりも、ご自身の納得感ではないだろうか。

こだわればこだわるほど、仕事の終わりがなくなる。だが、もしこれが可能なら、際限なく仕事の成果や質は向上するようにも思う。
だが、基本的に期限は必ずある。趣味であれば別だが。
妥協ではなく納得。
こういう感覚は何歳になったら会得できるのだろうかともがいている日々である。

以上