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蜘蛛が自分で作り出した糸の上をすすんでいくようなもの

貪欲に染まった人は、流れのままに押し流されていく
それはまるで
蜘蛛が自分で作り出した糸の上を、進んでいくようなものだ

一方賢者は
その貪欲を断ち切り、執着することなく、一切の苦しみを捨てて
進んでいくのである
                        真理のことば 三四七


約2500年前の、ブッダの言葉である。

私は熱心な仏教徒でも何でもないが、
この一節はとても共感できるし好きだ。

ブッダは、人の苦しみのすべては執着から生まれるという。
劣等感や嫉妬も、誰かと別れる悲しみも、将来の不安も。

かつての恋人を思い出したり、人からの批判に落ち込んだりして、
眠れずに苦しい夜、
私はこの言葉を思い出す。
そして、私が執着しているのは何だろうかと考える。

大好きだった恋人か、完璧で有能な自分か、人から愛されることか。

なんだ、そんなことか。

そう思える時ばかりではないけれど、
少なくともぐちゃぐちゃに絡まった不安は少しだけ、
解きほぐされる気がする。


ついでに、私は、過去の自分をほとんど後悔することがない。
というか、できない。

それってなんとなく良いことっぽいけれど、
「あのときこうしておけば良かった」と一切思えないのは、
「ああするしかなかった」と思ってしまうからだ。

受験の失敗や、大切な人に拒絶されたことも、
たとえ当時に戻れたって、同じことを繰り返すと思う。

たくさんの執着、貪欲に染まった私は、
流れのままに押し流されて、
自分が吐き出した糸の上を歩くしかなかった。

当時の私は、自分で、自分の選択肢を、奪っていた。

苦しくて、ほかの道が見えなくて、逃げ場も見つからず。

そんなとき、ちょっとでも執着を手放せていたのなら。



やっぱり少しだけ、後悔してるのかもね。

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