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根無し草

 「根無し草」という言葉を知ったのはいつだったか。
 高校生の時か、はたまた、大学に入ってからか。

「かっこいいな」。

 それが「根無し草」という言葉を初めて知ったときの感想。どこにも定まらず、自由に生きている。そんなイメージだった。

 昔から、物語に出てくる「旅人」だとか「旅の一座」だとかに憧れを感じていた。見知らぬ土地をめぐって生きていく。そういう人たちに。

 実際の自分はといえば、初めて一人だけでバスや電車に乗ったのは、高校生のときで、それも数えるほどしかなかった。通っていた高校が自宅から自転車で10分ほどの距離だったこともあって、ごく狭い世界の中で暮らしていた。高校時代を思い出すとき、浮かんでくるのは、高校の教室と、実家の自分の部屋、通学路にあった書店と、月に何回か行っていた図書館や山奥の温泉くらいだ。それがわたしの世界のすべてだった。

 大学に入って一人暮らしを始めてから、ぐっと行動範囲は広がったけれど、1年目は自宅と大学とバイト先で、ほぼすべてが完結していた気がする。1年目の終わり、「このままじゃいけない」というよくわからない焦りから、あちこちに足を伸ばすようになった。気づいてみれば、以前の自分では考えられないくらい国内外ずいぶんといろんなところに行った。

 そうして気づいたのは、自分も根があるようでない存在だということ。「故郷」と呼ぶ場所はあるにはあるけれど、そこに代々の血のつながりがあるわけでもない。そこが嫌いな訳ではないけれど、そこでずっと生きていきたいと積極的に思ったこともあまりない。

 それに気づいたとき、言い知れぬ不安や居心地の悪さを感じたものだけれど、その代わりなのかなんなのか、馴染みのない土地にいるときは不思議と安心する。「よそもの」ゆえのさみしさよりも、所属していないということの身軽さの方が心地よいのだと思う。

 「根無し草」がかっこいいだけの存在ではないことを知った今もなお、「根無し草」に憧れている。そんな自分。

ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。