見出し画像

雨に備えて、そっと傘を持つように。

※このnoteには地震についての記載があります。
 今読むと気持ちが辛くなりそう…という方はそっと閉じてください。

***

呼び覚まされた記憶

 今日は一日寝不足だった。昨晩遅くの新潟・山形での地震のニュースを知ってから、気持ちがざわざわしてなかなか眠れなかったのだ。思い出したのは、2011年の東日本大震災のこと。今まで私が体感した中で一番大きな地震。

 もうあれから8年以上が経つけれど、あの頃のことははっきりと思い出せる。立っていることもできないくらいの強い揺れ。人々の悲鳴や怒号。緊急車両も通れないくらい車で埋め尽くされた大道路。行きつけのレストランの床に散らばった無数の食器の破片。避難所の冷たく固い床。真夜中のラジオから聞こえてきた津波のニュース。それを聞いて皆が一斉に息を飲んで静まり返ったあの瞬間。

被災地の内側と外側

 押し寄せる記憶の波に飲み込まれて泣きそうになったけれど、災禍が起こった時、いつも読み返す鷲田清一さんの2010年度大阪大学卒業式式辞を読んでなんとか落ち着いた。この式辞は、東日本大震災直後に発表されたものだ。ここでは一部だけ抜粋するけれど、時間のある方はぜひ全文を読んでみてほしい。

被災地のひとたちと、被災の全貌を知ることができずに遠くから案じるだけのわたしたちのあいだには、どうしようもない隔たりがあります。
そうしたなかで、いま遠くにいるこのわたしたちのなしうることは限られています。物資や義援金を送ること。移送の道を、避難の道を塞がないこと。買いだめせずに、いつもより消費を控えることでできるだけ多くの物資が被災地に回るよう心がけることなどです。復興には相当な時間がかかるでしょうが、被災者の受け容れから現地での支援活動まで、遠くにいるわたしたちにもできることがいずれ見えてきます。その準備にあたることが、いまわたしたちにできる精一杯のことです。 
そしていま、わたしたちが被災者の方々に対してできることは、この見守りつづけること、心を届けるということです

※全文はこちらから。

 東日本大震災のとき、私はどちらかといえば、災禍の内側にいた。国内外各地の友人たちが心配してくれて、その気遣いがどれだけありがたかったかわからない。でも地震直後はまずその日その日をどう生き延びるかで頭がいっぱいだった。

いま、できること

 今、私は新潟・山形からは遠くにいる。遠くにいる私ができることは、まず第一に自分の暮らしをきちんと営むこと。明日は我が身と心して、もしかしたら自分の身の回りで起きるかもしれない災禍に対して備えること。もし災禍が起きたら、できるだけ被害を少なくできるように減災を心がけること。そしてもし余裕があったら、新潟・山形へ自分のできる範囲でなんらかの支援をすること。

 「自分のできる範囲で」というのがとても大事。誰かを助けようとして、共倒れしてしまったら身も蓋もない。「助けたい」という気持ちは自然なことだけれど、「助けたい」という気持ちだけではどうにもならないこともあるという一見残酷で、しかし同時にまぎれもない現実を私は東日本大震災で思い知った。

 東日本大震災以前も以降も各地で、様々な自然災害が起きている。日常生活を営む場所はもちろんのこと、出張先・旅行先でいつどんなことが起こるかはわからない。『東京防災』は防災に関しての知識が網羅的にまとまっているので、とてもおすすめだ。私も今日、これを見ながら避難所の場所や防災グッズの中身を確認してみた。

自然はいつもそこに

 災害そのものが起きることは止められない。そもそも、地球上で当たり前に起こる自然現象に、私たち人間が大きくマイナスの影響を受けている状態が「災害」と呼ばれるのであって、良くも悪くも私たちはいつもその影響を受けている。晴れた日の青空にご機嫌になったり、梅雨時の雨に憂鬱になったり。

 自然はいつも生活の中にある。雨が降りそうなら傘を持ってでかけるように、その少し先の対策として、今一度、災害への備えをしてみてほしい。結局雨が降らなくても、「傘がある」という安心感が心の支えになるように、その備えも心の支えになるはずだ。

ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。