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ほしいもの、失いたくないもの

 毎年、自分の誕生日が近づくと、「今年の自分へのプレゼントは何にしよう?」とあれこれ考える。お気に入りのデザイナーさんのアクセサリー?それとも隠れ家的お店の贅沢ディナーコース?いや、プチ旅行にしようか。

 ところが今年は、何か「トクベツ」なことをしようという気持ちがあまりわいてこない。「ほしい!」と熱烈に思うものやコトが今のところ取り立ててないのだ。

 それは今の暮らしに満ち足りているからかもしれない。だから、「今の暮らしがあること」自体が今年の自分への贈り物なのかな、なんてことを思ったりした。

 そういう意味でいうと、今のわたしは「ほしいもの」より「失いたくないもの」の方が多い気がする。今の暮らし−日々食べ物をおいしく食べ、ストレッチや筋トレで体を動かし、ぐっすり眠り、たまに一人で飲みに行ったり、気の置けない人たちに会ったり−を大事にしたい。

 「ほしいもの」がまったくないわけじゃない。欲はもちろんある。人間だもの。

 例えば、引き締まったカラダ。個人的に今はワガママBodyなので、目下、ストレッチや筋トレをしつつ引き締め中。これは遠くない将来に手に入りそうだ。(BoAの曲を思い浮かべたけど、その歌詞に出てくるのは「わたしという戦うボディ」だった)

 あとは、書斎。物を書いたり調べ物をするためにディスプレイは少なくとも2つ。本を思う存分広げられる机があって、座り心地のいい椅子があって、本棚が十分あって、音響設備も充実していて…。あったらいいなあとは思うけど、今のところ熱烈にほしいかといわれるとそうでもない。

 他にほしいもの−正確にいえば、ほしかったもの−は「おじいちゃん・おばあちゃん」。わたしは物心つく前に祖父母をなくしている。だから、友人との会話の中で「おじいちゃんの家に遊びにいった」、「おばあちゃん、ほんとだいすき」などと聞くたび、うらやましかったし、今でもうらやましい。でも歳を重ね、いろんな人たちにお世話になるうち、血のつながりはないけれど「心のおじいちゃん・おばあちゃん」と思える人たちにもたくさん出会えた。だから今は大丈夫。

 さぁ、あとは何がほしいだろう?何を失いたくないだろう?

ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。