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人生

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人生について徒然なることを徒然なるままに書いています。
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2019年9月の記事一覧

乗換駅にて

スーツケースや大きめのバックパックを持っている人がやたら多いなと思ったら、今日はたまたま空港につながる路線に乗っていたのだった。 帰ってきた人。旅に来た人。旅に出る人。 疲れた表情の人。にぎやかにおしゃべりしている人。ひとり物思いに耽っている人。緊張気味に佇んでいる人。 みんなどこから来て、どこへ行くのだろう。 無数にある電車の中で、たまたま同じ車両に乗り合わせた人たち。 あの人たちも同じことを思っているのかもしれない。 彼は、彼女は、わたしは。 これからどこに

まだ終わらない旅

「それ」が長い旅の始まりになるなんて誰が知っていただろう。 高3の冬。 センター試験の数学で大コケ。 2次試験でも数学に泣いた。 死刑宣告を待つかのように迎えた合格発表の日。 私は高校の職員室で発表を見ることになった。 志望大学のホームページを開き、自分の番号を見つけた瞬間。 涙があふれて止まらなかった。 先生たちはうれしくて泣いているのだと思っただろう。 でも違った。 もちろんうれしかった。 けれど、「合格してしまった」という気持ちの方が強かった。

願い事は何ですか?

久々に神社に足を運んだ。 時々、喧騒を離れて閑静な神社に行きたくなる。 三連休だったこともあって、行った神社は混んでいたけれど。 しばし参拝の列に並びながら、お参りする人たちを眺める。 いつも思う。 みんな、どんなことを願っているんだろう? わたしの願い事はどこの神社に行っても変わらない。 はじめまして。参りました。 今日ここに来させていただいてありがとうございます。 ご縁がありましたら、また来させてください。見守っていてください。 いつだって悩みはある。

自分の「声」は聴こえている?

とあるライフストーリーを読んでいて、目に止まった一節があった。 「一番難しかったのは、自分自身と正直に対話することでした」 言うなれば、そのようなこと。 自分自身との対話。 よくマンガなどで、天使の自分と悪魔の自分が脳内で戦うシーンがある。 ダイエット中だけど、おいしそうなものを食べたい…。 「食べてはだめよ!」「いいや、食べちゃえ!」 あれが一番わかりやすいかもしれない。 日々を忙しなく過ごしていると、そんな些細な戦いすら面倒になる。 「自分で決める」とい

泥のように眠る

どこの誰だろう、この表現を思いついたのは。 今日はとにかく泥のように眠っていた。 やろうと思っていたことはあったのだけれど、体が休息を求めていた。 昼過ぎに目が覚ますと、外はくもりだった。 あんなに雨の予報だったのに。 冷蔵庫から野菜ジュースとヨーグルト、イチジクを取り出してリビングへ。 イチジクは先日スーパーで奮発して買った。 イチジク、ぶどう、梨、柿。 秋の果物がわたしはことのほか好きだ。 食べ終えた後、またベッドにもぐりこむ。 少し空気が肌寒くて布団

片付けアドレナリンday

今日は無性に片付けがしたくなり、気がついたらこの時間になっていた。 海外テイストの片付け動画を流しながらすると、はかどることこの上ない。 とにかく雑誌や書類が多いので、マガジンラックを買ってこようか考えた。 しかし、ふと見ると部屋の片隅には、ちょうどよさそうな段ボール箱が。 そこからはひたすらDIY。 ガムテープと両面テープとラッピング用紙を駆使して即席マガジンラック。 「自分でやった」感が、さらに片付けアドレナリンを放出させる。 明日も続きをやることにしよう。

明日は、だれと、なにを、どこで食べようか。

ずっと気になっていたけど、見逃していたドラマ「きのう何食べた?」。 DVD化記念でYouTubeで1話と2話を観ることができる。 おもしろくて、続きが気になるところだ。 * * * 子どもの頃、わたしは「食べる」ということにあまり関心がなかった。 今でもそのきらいはある。 何かに夢中になると、食べることも寝ることも忘れる。 一時期は、「食べる」ことはエネルギー補給のための「作業」だった。 外食ばかりしていたのも、ひとりの家では食べることすら面倒だから。 今で

秋雨の夜

冷えた夜の空気の中、雨がざあざあと降り注いでいる。 「秋雨(あきさめ)だ」 雨にまつわる言葉はなんだか美しい。 春雨、五月雨、夕立、時雨。 「ゲリラ豪雨」なんて言葉よりずっとずっと。

ことことの日。

最近、毎日のように野菜スープを飲んでいる。 数日分を大鍋で作り置きしておくのだ。 今日は作り置きの日。 ニンジン、ダイコン、タマネギ、ゴボウをひたすら刻んでいく。 味付けは白だしとお酒、そしてショウガ。 スープが煮込み終わるまで時間があるので、 大抵は何か別の料理を作ったり読書したりしている。 今日は余ったニンジンとゴボウできんぴらを作った。 明日のお弁当のおかずになるだろう。 少しずつ秋の気配がしてきてうれしい。 そのうちきのこ鍋もしてみよう。

記憶のために記録する

ここ数日、何年か前に行ったコンサートのDVDを流しっぱにしていた。 全国ツアーのラストコンサート。東京ドームで6万人の観客達の歓声を受けながら歌うアーティスト。笑いがあふれるMCのあと、曲が続き、最後は全員で大合唱。 全曲を終えメンバーたちが去ったあともアンコールの声は止まらない。再びステージに上がるメンバー達。メンバーの一人は普段からは想像できないくらい泣き崩れていた。 「ありがとうございました!」 マイクを通さず自分たちの声で叫ぶメンバーたち。彼らが今度こそステー

月夜の晩に

昨日は月が明るかった。 飲み会のあと、一人帰り道を歩きながら月を眺めていた。 家に着いてすぐ、ぬるめのシャワーを浴びる。 濡れた髪にタオルをひっかけたまま、炭酸水を片手にベランダに出た。 月は相変わらず明るく輝いている。 炭酸水がぴりぴりと喉を通りすぎていく。 何かが終わって何かが始まったような、そんな一日。 次にこうして月を見上げるのはいつになるのだろうか。

聞こえるのは誰の声?

雑踏を歩いていると、いろんな音が聞こえる。たくさんの人のおしゃべり、街を流れる音楽、お店の外で呼び込みをする店員さんの声。 わたしが生まれ育った場所は片田舎で、夜中に窓を開けると、虫やカエルの声と共に、遠くの高速道路を行き交うトラックや車の音が聞こえた。 「聞こえた」というより、「それに意識が向いていた」のかもしれない。 いろいろな音や声が溢れかえるこの世界で、今、わたしは誰の声を聞いているのだろう?わたしの声は誰に聞こえているのだろう?何より、わたしはわたしの声を聞け

降り積もる時間と順番のこと

少し前に叔母が倒れたことを、先日、母との電話で知った。 「年だからね。ただ、順番通りに逝くとも限らないからね」。 そういう母も、もうだいぶ歳を取った。 わたしが歳を重ねた分、母も歳を重ねる。 母だけではなく、親族も恩師たちも。 先日お会いした恩師が、すっかり白髪になっていらっしゃった。 驚いて尋ねると、髪を染めるのをやめたのだとおっしゃる。 時間は誰の上にも確実に降り積もっていく。 しんしんと。

あの頃のわたしも、今のわたしもまだ知らない。

18年前の今日。小学生だったわたしはすやすやと眠っていた。 翌朝、姉からNYでの惨事について聞かされることをまだ知らずに。 数年前のちょうどこの時期。わたしはあるプログラムに合格した。 それがNY行きの切符につながることを知らずに。 そして今日。わたしは今日という一日を静かに過ごした。 これからのわたしを何が待ち受けているのか、まだ知らないまま。 あの頃のわたしも、今のわたしもまだ知らない。 その先に起こることを。 そうして人生は進んでいく。