![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/14498688/rectangle_large_type_2_f0a4bcb03307de52a7c5391e446b9134.jpeg?width=800)
明日は、だれと、なにを、どこで食べようか。
ずっと気になっていたけど、見逃していたドラマ「きのう 何食べた?」。
DVD化記念でYouTubeで1話と2話を観ることができる。
おもしろくて、続きが気になるところだ。
* * *
子どもの頃、わたしは「食べる」ということにあまり関心がなかった。
今でもそのきらいはある。
何かに夢中になると、食べることも寝ることも忘れる。
一時期は、「食べる」ことはエネルギー補給のための「作業」だった。
外食ばかりしていたのも、ひとりの家では食べることすら面倒だから。
今でこそ、ひとりだろうと食事が楽しみに思えるようになった。
苦痛なのは、すきでもないひとと食事をすること。
それがどんな高級レストランの料理だろうと、入手困難のお酒だろうと。
それだったら、ひとりで、すきなものをすきなペースで楽しむ方がいい。
逆に、すきなひととだったら、食べるものや場所はあまり気にならない。
公園のベンチでパンとジュースで済ませるだけでもいい。
* * *
文化人類学を専攻していた大学時代、私はずいぶんと文章を書いた。
様々な集団の暮らしを事細かにフィールドノートに書き起こしていた。
教授や先輩方に何度も添削を受けながら。
特に、食事の場面にはたくさんのコメントがついた。
「誰が誰のために作ったのか?」
「どんな会話が交わされていたか?」
「どんな料理で、誰から食べたのか?順番は決まっていたか?」
「片付けは誰の役割だったのか?」
食事は人の根本だ。
だからこそ、そこから見えるものは、人間関係そのものだったりする。
* * *
以前書いた、「人生のパートナーを見極めるための三条件」。
その中の一つは、「一緒に食事すること」だった。
「食べる」ことは一生続いていく。
さあ、明日は、だれと、なにを、どこで食べようか。
ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。