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明日は、だれと、なにを、どこで食べようか。

ずっと気になっていたけど、見逃していたドラマ「きのう 何食べた?」。

DVD化記念でYouTubeで1話と2話を観ることができる。

おもしろくて、続きが気になるところだ。

* * *

子どもの頃、わたしは「食べる」ということにあまり関心がなかった。

今でもそのきらいはある。

何かに夢中になると、食べることも寝ることも忘れる。

一時期は、「食べる」ことはエネルギー補給のための「作業」だった。

外食ばかりしていたのも、ひとりの家では食べることすら面倒だから。

今でこそ、ひとりだろうと食事が楽しみに思えるようになった。

苦痛なのは、すきでもないひとと食事をすること。

それがどんな高級レストランの料理だろうと、入手困難のお酒だろうと。

それだったら、ひとりで、すきなものをすきなペースで楽しむ方がいい。

逆に、すきなひととだったら、食べるものや場所はあまり気にならない。

公園のベンチでパンとジュースで済ませるだけでもいい。

* * *

文化人類学を専攻していた大学時代、私はずいぶんと文章を書いた。

様々な集団の暮らしを事細かにフィールドノートに書き起こしていた。

教授や先輩方に何度も添削を受けながら。

特に、食事の場面にはたくさんのコメントがついた。

「誰が誰のために作ったのか?」

「どんな会話が交わされていたか?」

「どんな料理で、誰から食べたのか?順番は決まっていたか?」

「片付けは誰の役割だったのか?」

食事は人の根本だ。

だからこそ、そこから見えるものは、人間関係そのものだったりする。

* * *

以前書いた、「人生のパートナーを見極めるための三条件」。

その中の一つは、「一緒に食事すること」だった。

「食べる」ことは一生続いていく。

さあ、明日は、だれと、なにを、どこで食べようか。


ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。