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SF思考とは?

ここ最近、「SFプロトタイピング」「SF思考」というワードを度々目にするようになりました。
WIRED 2020年7月号での「SFがプロトタイプする未来」と題したSFプロトタイピング特集を皮切りに、2021年には関連書籍が3冊続けて出版。今年に入ってからは、Forbesをはじめとした複数の雑誌で特集記事が組まれています。

SF好きとしては、それは一体どんなものなのか気になったので調べてみました。

少し先の未来を想像するための思考法

現代社会は、将来が予測不可能なVUCA(ブーカ)*の時代と言われて久しいですが、そんな何が起こるかわからない見通しの難しい現代から少し先の未来を捉えるために、サイエンスフィクションの考え方を応用しようという取り組みが「SFプロトタイピング」であり、そのための思考法を「SF思考」と呼びます。

出典:https://www.mri.co.jp/50th/events-sf/index.html

マーケティングやユーザーリサーチをベースとした、「マクロトレンド分析」や「デザインシンキング」だけでは、たどり着くことが難しい斜め上な未来像を、「シナリオプランニング」のような社会起点ではなく、人間起点で考えるのが「SF思考」です。

国内外の企業で活用が進む

2010年にインテルのFuturistであるBrian David Johnsonが、「テクノロジーが社会にもたらす脅威の可能性」を伝える手段として、論文ではなくSF短編小説を発表し、それが後のインテルのロボットプロジェクトへと発展していったことが、この考え方のきっかけとなっているようです。
国内でも、三菱総研や、WIREDとPARTYが設立した「WIRED Sci-Fi プロトタイピング研究所」とソニーやサイバーエージェントとのコラボレーションなど、ビジネス面での活用が進められています。

SFによって自由な思考を飛躍させる

「SFプロトタイピング」とは端的に言うと、SF小説を書くことです。描いた未来を小説によって表現することで、広く共有可能な形にすることができます。
なぜ小説なのか?それは「物語」としてまとめることで、例えば未来の製品からそれを使う背景・シーン、その時の人々の生活や、社会の雰囲気まで、「点」ではなく「面」で捉えやすくなるためです。単に製品企画やアイデアを考えるだけでなく、その周辺にまつわるできごとも一緒に想像を膨らませることで未来を立体的に捉え、制約に縛られない企画検討を可能にするという利点があります。

チームで議論を重ねる過程が重要

アメリカの事例などでは、SF作家がテーマや目的に沿ってSF作品を執筆し、それを納品しておわりということもあるようですが、今回参考にした二冊の著書では、「SPプロトタイピング」を「作品」として完成させることではなく、その過程で起こる「議論」の方を重視しています。そのため、小説を執筆するのは必ずしもSF作家である必要はなく、執筆経験のないプロジェクトメンバーでも良いとされています。

SFをプロトタイプする

プロジェクト開始前

具体的に「SPプロトタイピング」を実施するにあたり、プロジェクト開始前に下記の点を準備をしていきます。

  1. 目的を決める
    通常一人ではなくチームで行うものであるため、メンバーが共通認識を持てるよう目的を定めます

  2. テーマを決める
    例えば「50年後の都市生活」といったものや、あるいは業務的な分野やテクノロジー、文化や社会に関するものなどが考えられます。

  3. 規模を決める
    まずは実験的にスモールスタートなリソースで始め、小さな規模で試行錯誤を繰り返すのが理想的です。

  4. メンバーを決める
    ビジネス担当、ライティング担当、プロジェクトマネジメント担当など役割を分け、なるべく視点の異なるメンバーを集めます。最終的な執筆作業をSF作家にお願いする場合はここで選定しておきます。

ワークショップの設計と実施

参考著書にはいくつかの方法が紹介されていますが、制作の大まかな流れとしては、①テーマに沿って世界観を広げる(発散)→②アウトラインを検討し骨格を決める(収束)→③プロットへ肉付けする→④完成、となります。
①の発散フェーズで、議論のためのワークショップを設定するのが最も適切ですが、②や③のタイミングで回数を重ねて設定することも考えられます。
これは、参加メンバーやオファーをするSF作家に依頼する範囲などで決まってくると思います。

SFの持つパラダイムシフトの力

ここまで「SF思考」と「SFプロトタイピング」について紹介してきましたが、なぜSFかという点を個人的な経験を元に、少し深堀りしていきます。
SFには見えていた世界の見方が変わる、パラダイムシフトの力があると思っています。自分自身これまで様々な作品に触れる中で、気付きや視点を得られることがありました。その例を紹介していきます。

認知や思考は言語に依存する

映画化もされている短編小説、テッド・チャンの「あなたの人生の物語」。表題にもなっているこの物語は、突如地球に現れた未確認生物と、言語学者である主人公との交流を描いています。主人公は、未確認生物の使う言語を研究し理解していくことで、その言語によって規定される認知能力(ネタバレになるのでぼかしておきます)も同時に得ていくことになります。
ジョージ・オーウェル「1984年」の中では、「ニュースピーク」という新言語により、文法や語彙が制限され、思考が狭められることで、全体主義・管理社会を容易に実現するディストピアな世界が描かれています。

魅力的なガジェット・プロダクト

フィリップ・K・ディックの小説の中では、特徴的なガジェットやプロダクトが度々登場します。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」では「共感(エンパシー)ボックス」という、作中で信仰されている教祖と五感を共有し、疑似体験をすることができる装置が登場したり、「ユービック」では死後直後の人間を冷凍保存すると「半生者」となり、完全な死者となるまでの間、機械を通じて会話が可能になる様子が描かれています。
1973年の映画「ソイレント・グリーン」では、資源枯渇と格差拡大により、野菜や肉といった食材の希少価値が上がり、合成食材である「ソイレント・グリーン」が配給される世界が描かれます。
ちなみにそこから構想を得た、完全栄養食品を展開するアメリカの「ソイレント」という会社が存在しています。

今ある前提が失われた、もしも…?の世界

同じくフィリップ・K・ディックの「高い城の男」では、もしも第二次世界大戦で枢軸国側が勝利していたら?の世界が描かれ、作品世界の中では逆となる(実際には歴史的に正しい)連合国側が勝利していたら?の仮想小説が発禁扱いとなる、メタ構造な物語が展開されます。
小松左京の「復活の日」は、コロナ渦で再び注目が集まりましたが、もしも世界が細菌兵器と核兵器の危機に晒されたら?の世界が描かれます。

答えのない哲学的な問いかけ

アニメ(漫画)「攻殻機動隊」では、人間の脳が「電脳化」されインターネットに直接接続可能になり、さらには身体の「義体(サイボーグ)化」が可能になることで、何もしていない生身の人・電脳化した人・一部義体化した人・全身義体化した人・AI・アンドロイドなどが混在する社会が描かれます。
「電脳化」によってコンピューターのように脳をハッキングし、偽の記憶を植え付けることが可能だとしたら、主人公のように「電脳化」し全身を「義体化」した「人間」は、必ずしも「人間」だと言えるのか?「人間」たらしめているものは何なのか?常にその問いかけが作中に満ちています。

まとめ

長くなりましたが、自分の解釈として「SF思考」とは思考実験に近いのかなあと思いました。もしもこんな ものがあったら・社会になったら どうなるか?妄想に妄想を重ね、何か気付きや新しいものが生まれるかもしれないし、何も生まれないかもしれない…
でもきっと、そんなことを考えているとわくわくしてくると思うので、普段からそんな頭を柔軟にしてくれるSF作品はおすすめです!

注釈:
*VUCA…Volatility (変動性), Uncertainty(不確実性), Complexity(複雑性), Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取った言葉。変動性が高く、不確実で複雑かつ曖昧な社会情勢のこと

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