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能登半島訪問 1日目

今回の能登半島訪問

現地と触れ・現状を知り、自分たちに何ができるかを考えるため、7月5日(金)~7日(日)の3日間、日本政策学校の仲間たちと能登半島を訪問してきました。

7月4日(木)深夜、仙台出発

金沢駅前に朝9時集合で能登半島に向かうため、私は7月4日(木)深夜、ジェイアールバス仙台~金沢線「百万石ドリーム政宗号」乗車。
予定通り金沢駅に到着し、セブンイレブンでコーヒーをいただきながら、前回5月30~6月2日に能登半島を訪問した時のことをぼーっと考えていました。

仲間たちと合流

朝9時集合場所に続々と仲間たちが集まってきました。
ほとんどオンラインでしか会えない仲間たちとリアルで会えることの嬉しさと、これから3日間で能登半島の現地に触れ、活動を通して見えてくるものがあるであろう期待感の中、能登半島へ向け出発しました。

7月5日(金)のサマリー

7月5日(金)は、
 輪島市町野町の「スーパーもとや」で、震災後も地域の生活インフラとして皆さんを支えられている社長さんとのお話をお聞きし、町野町のこれからについてディスカッションさせていただきました。
 その後、珠洲市の見附島近くで地域支援活動をされている方や、この地域で昔から作られているキリコ(大きなおみこしのだし)を作られている大工さんに道でたまたまお会いしてお話をお聞きしました。
 今回の震災をきっかけに新たなことにチャレンジしていかれようとしている様子と、昔からある伝統を残したいと考えていても、それがなかなかできないもどかしさを感じました。

スーパーもとや

最初に訪問させて頂いたのは、輪島市町野町の「スーパーもとや」さん。
地震発生の元日から一日も休まず営業を続けています。
住民生活を長年支えてきた店を家族総出で守りながら再建を目指されています。

地域のインフラとして営業を続ける「スーパーもとや」

お忙しい中、3代目社長の一知(かずとも)さんにお話をお聞きしました。

3代目社長 本谷一知さん


町野町はもともと奥能登の中でも、輪島とも珠洲とも能登とも距離のある場所に位置しており、集落も点在している地域で、そこで唯一のスーパーマーケット「もとや」はまさに町の生活インフラです。

町野町はもともと奥能登でも人口密集地から距離が離れ物流などの便もあまり良くなかった

今回一知社長のお話をお聞きし、この地域の強みと、それを今後どのように活かしていこうとされているかという質問に対し、「もとや」がもともと移動販売で、このエリアで圧倒的なシェアを持っていたこと、この地域の特性や環境を活かし、打って出ていきたいというような返答から、
今回の震災を決してマイナスばかりとはとらえておらず、外の人から注目してもらえ協力してもらえるチャンスととらえている力強さを感じました。
「震災により時間の動きが早まった、そこで動ける人は震災前から動くことを考えていた人」という一知社長の言葉も印象的でした。

地域で必要とされる食材を取り揃えている
もとやさんで購入した「朝どれのお刺身」をみんなでシェアしてのっけ盛りで頂いた
塩漬けにされた「へしこ」もごはんと一緒に食べると最高に美味しい

珠洲市宝立町のキリコ 

見附島の近くで、地震と津波の被害を受けた宝立町を訪問しました。海と共にあった、この地域の暮らしが感じられます。

見附島の近くで地震と津波の被害を受けた宝立町の沿岸部

能登半島では「キリコ」と呼ばれるおみこしのだしが各地で作られ、祭りでは夏の夜空に浮かび上がります。宝立町でも夏の祭りを彩るため、キリコが倉庫に保管されていました。7体中6体がこの倉庫で地震と津波の被害を受け、「山の手若連中」1体のみが難を逃れました。

能登の祭りには欠かせない「キリコ」。この地区のキリコは7体中6体がこの倉庫で被害を受けた
体のキリコのうち「山の手若連中」のみが難を逃れた

道でたまたま会った大工さん、キリコのミニチュアを趣味でずっと作り続けていたということでした。家の中を見せてくれるというのでおじゃましたところ、家の中に2体のミニチュアキリコが置かれていました。このほかにあった数十体のキリコは、別の保管場所に移されたとのことでした。
町からはキリコ職人がいなくなってしまったので、大工さんにキリコを作ることが出来ないかと相談が来るそうです。
でも、何もやる気が起きないのだそうです。人の心や気持ちは機械とは違います。無理に元気を出してもらおうとしてもなかなか上手くいきません。その人の事を理解し、無理強いをせずそばにいて話を聞いてあげることも大切です。

たまたま道でお会いした大工さんのお家には、趣味で作られていた「キリコ」のミニチュア版が

妙厳寺

妙厳寺は、宝立町で数多くの檀家さんを抱えるお寺です。昨年の地震でも被害を受け、ようやくその修復を終えたところに今回の地震が来て、もうこれ以上手の打ちようがないと住職がおっしゃられていました。

被災後の妙厳寺の門
被災前の妙厳寺の門

本堂は傾きながらも建っていましたが、6月3日の余震でこのような形に完全倒壊してしまったとのことでした。
宗教法人に対しては、今回震災ににおける国からの補助は全く無く、どのようにして再建していったらよいか、全く見当がつかないとのことでした。

被災後の妙厳寺の本堂
被災前の妙厳寺の本堂

珠洲市宝立町の新たなコミュニティスペース

6月に出来た珠洲市宝立町の新たなコミュニティスペースです。
部屋の中にはキリコのミニチュアが飾られていました。地域の皆さんがここに集まり語らう癒しのスペースになると素敵です。

珠洲市宝立町に新しくできたコミュニティスペース
珠洲で一番きれいなトイレと紹介された珠洲市宝立町コミュニティスペース横のトイレ

自衛隊風呂

災害派遣で来られている自衛隊の方々が、地域住民の方々とボランティアの方々に無料で、熱いお風呂を提供してくれています。耐熱用のビニールに熱々のお湯がたっぷり満たされており、一日の疲れがとれ癒されました。

自衛隊災害派遣の方々が「自衛隊風呂」を地域の方々、ボランティアの方々に無料で提供している
自衛隊風呂「尾張の湯」の外観
耐熱用のビニールに熱々のお湯がたっぷり満たされている。一日の疲れがとれ癒される

「さだまるビレッジ」のあづささんのお話

ボラキャンすずに帰って集合テントでは、震災前に能登半島へ移住してこられ、さだまるビレッジを運営されており、この地域で「海ごみアート」作品作りの体験教室を開いているあづささんのお話をお聞きしました。
あづさんは、この地域で必要とされる物資のつなぎ役などの役割もされていて、地域に無くてはならない存在です。
あづささんが被災した際、金沢から支援物資を持って駆けつけてくれた林業をやられているお友達もいらして下さり、日ごろからのあづささんの周りの人たちとの関係性や信頼関係の構築と、それがあってからこそ、地域の方に受け入れられ、それをかわれ、外と地域のつなぎ役を任せられているのだと感じました。

珠洲に魅了され震災前移住してこられた「さだまるビレッジ」のあづささんにお話を聞く

1日目の振り返り

まず初めに訪れた「スーパーもとや」では、今回の震災は決してマイナスばかりではなく、もともと外から注目されされることが少なかった地域が、外の人から注目してもらえ協力してもらえるチャンスととらえることが出来るということをあらためて認識しました。
そして、あづささんのお話からは、外の人がかかわりを持つときの信頼関係の構築とはどのようなものかを気づかされました。
そして、そこには地域を理解してそれに寄り添うことの大切さが何より欠かせないということも、道で出会った大工さんとの出会いからも感じ、色々なものが繋がってきたと実感することが出来ました。

つづく


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