蜜蜂と遠雷

さあ、音楽を始めよう。

数年前の書店。
平積みの本の中で目を惹く装丁と題名だった。

恩田陸『蜜蜂と遠雷』

読みたい!けど文庫化してからにしよう。文庫が出たら必ず買おう。
と、思い続けて早数年。
いつまで経っても文庫化はされず、けれどわたしの記憶からこの本が消えることも無かった。

まさか、同じくジリジリと待っていた母が待ちきれず先にハードカバーを買っていたなんて。
実家に帰ってこの本を見つけたときには思わず「うわあ、ある!」と声を上げてしまった。

それくらい、読みたくて仕方が無かった本だった。


蜜蜂と遠雷

その題名からクラシックの物語だとは結びつかなかった。なんでだろう。内容を全く知らなかったのに凄く「読みたい」と感じた本だった。不思議。


俺はまだ、神に愛されているだろうか?
ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、
そして音楽を描き切った青春群像小説。
著者渾身、文句なしの最高傑作!
幻冬舎HPより

そうそう、こういう小説が読みたかったの!と思う本だった。
ドキドキしてうっとりしてハラハラして沁み渡る。
活字で読んでいるのに音と熱をすこしだけ感じられた気がする。

クラシックに疎い自分が悔しかった。
もっと知識があれば、と何度も思いながらページをめくった。ちょっと格好付けてAmazon Musicでクラシック名曲ベストをかけながら読んだりしたけど(分かってる、格好悪いよね)そんなことしなくたって活字からは聴こえないはずの音の波が流れ込んでくるようだった。
メロディーでは無い、音の波。


夜は、まだ若い。外を人々が行き過ぎ、車が滲んだ赤い流線形となって流れていく。
(p28 下段)


恩田陸さんの今まで読んだ他の作品よりも好きな表現が沢山出てきた。そう感じるのはこの本がわたしも愛する「音楽」のことを書いた本だからなのだろうか。

「夜は、まだ若い。」という表現に、にんまり。
こういう好きな表現を見つけると何度も何度も目で追ってしまう。何度も何度も繰り返し読む。これが本の好きなところ。


やっぱり聞こえる。雨の馬たち。
(p38 下段)


舞台はピアノコンクール。
この小説に主人公はいない。様々な人の視点で進んでいく群像劇。

書かれているその視点がピアノコンクールに出るコンテスタントたちだけでは無いのが大きな魅力。

コンクールのドキュメンタリーを撮る雅美
雅美の高校の同級生で、コンテスタントの明石
審査員の三枝子
かつてピアノの天才少女と謳われていた亜夜
亜夜の演奏に惚れ込んだ親友・奏
コンテスタントを袖で見送るステージマネージャー田久保
ピアノ調律師の浅野
スター性を持つ優勝候補のマサル
『ギフト』か『厄災』か?蜜蜂王子の風間塵

くるくる視点が入れ替わっても全く混乱せずにスッと読むことが出来るのはそれぞれの登場人物の心を丁寧に描いているからなんだろうな。あくまでもピアノコンクールの話なので、クセの強すぎる人は出てこない。それでも平坦にならず「これ誰だっけ」にならないのは、同じ演奏を聞いているときのそれぞれの心の声がとても丁寧だからだ。
演奏を聴いて感じる、凄さ、憧れ、共感、感動、恐怖。
その部分の描き方のバリエーションの豊富さにうっとりする。どんどん読み進めてしまう。レベルの高いコンクールなので全員がもちろん「上手い」訳だけど、その「上手い」が人によって違う。それを音を聴かずとも文章だけでこんなにも表現できるなんて。ちゃんと伝わるんだよ、感じるんだよ、聴こえるんだよ。

読んでいてどんどん興奮が抑えられなくなる。
この小説を読んでいて感じるのは、そう、ライブ感。


彼女は、今の大学生活に至極満足していた。外側にある音楽を味わい、それを追体験するためにピアノを弾き、世界に溢れる音楽の再現を楽しむ。これでじゅうぶんだ。
(p48 下段)


読んでいくと好きな登場人物に出会える。

そもそも嫌な人がいないので(真面目なコンクールなのでね)読んでいて純粋に気持ちが良いのだけど、好きな登場人物を挙げるならまずは栄伝亜夜の名前を出す。

先ほど引用した「雨の馬たち」というのも亜夜の表現。大雨の日、トタン屋根の上で雨が刻むギャロップのリズム。


世界はこんなにも音楽で溢れているのに。
(中略)
わざわざあたしが音楽を付け加える必要があるのだろうか。
(p39 上段)


亜夜はピアノの天才少女、だった。
13歳の頃に指導者でありマネージャーだった母を亡くしてしまう。その喪失感は大きかった。亜夜は母を喜ばせたくてピアノを弾いていた。
母の死後、最初のコンクール。今まではきらきら輝いて見えたグランドピアノが墓標に見えた。あそこにもう音楽はない。そう感じ、逃げ出す。

亜夜はその日から「消えた天才少女」になった。

そんな亜夜の音楽との付き合い方がわたしは好きだった。世界には音楽が溢れている、と感じ取れる亜夜からは音楽を心から愛しているのが伝わってくる。

そしてマサル、風間塵と出会ってからの亜夜はとにかく格好良い。
小説の中の亜夜のピアノ演奏にすっかりファンになってしまう。

そんな亜夜を側で支え続ける奏がね、すごく良い子なんですよ。奏視点の描写も好きなシーンがいっぱいあったなあ。


『蜜蜂と遠雷』は映画化することも決まっているんですけど、亜夜の役が松岡茉優さんなんですよね。これ、わたしは演技がすでに見えるくらいに良いキャスティングだと思っています。
普通の大学生らしい姿から一変するピアノ演奏シーン。その瞳の変化。
映画『勝手にふるえてろ』を観た人ならきっと分かってもらえるでしょう。松岡茉優さん、そういうの上手いんだよね。もう今から楽しみ。あの変化にゾクゾクしたい。


生活者の音楽は、音楽だけを生業とする者より劣るのだろうか、と。
(p53 上段)


きっと共感が多いのは明石だと思う。

28歳のサラリーマン。
低年齢が当たり前のピアノコンクールでは応募規定ぎりぎりの最高齢。

ピアノは天才少年や天才少女のためだけのものじゃないんだから、と妻も子供もいて、仕事もしている明石は記念受験と称して「本当に」音楽家を目指していたという証拠を子供に残したい、とコンクールへの参加を決意する。

練習のためにピアノを弾いている中で芽生えてくる音楽家としての明石の心情が、もう、日本人こういうの弱いんですよ、ええ、って感じです。応援したくなるし、その明石の姿を見て勇気付けられる人も多いんじゃないかな。

ちなみに映画だと松坂桃李くんですね。ああ、ピアノと合いそうなお顔!


マサルのみんなを惹きつけるチャーミングな演奏も、『ギフト』なのか『厄災』なのか分からない爆弾のようなコンテスタントである風間塵の演奏も、どれもこれも映画館で観られる日が楽しみです。
マサルと亜夜、風間塵と亜夜、それぞれの会話もとっても好きなんです。会話シーンって、つまり演奏以外の部分だからかな。ホッとする。

映画化のタイミングで『蜜蜂と遠雷』ピアノコンサートなんて企画もありそうですよね。うわあ、それも聴きに行きたい。あるかなあ、あるよね。わたしが企画者だったら絶対にやるけどなあ。

まずは弾く人によって同じ曲でもこんなに違って聴こえるんだなあということに気が付けるようになりたいものです。


これからまだまだ寒くなりますし、家の中で長編小説を読むチャンスです。内容を知ったうえで映画を観たいと思える小説なので(映像は音楽があるから強いよね)映画公開前に良かったら是非。


耳を澄ませば、こんなにも世界は音楽に満ちている。
(p505 下段)

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