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みなさまの大切なnoteに私のイラストを選んでいただきありがとうございます。感謝の気持ちをマガジン掲載という形に変えさせていただきました。(#komekoarts イラスト登録中)
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2021年12月の記事一覧

近況報告〜焦らず、ひとつずつの香りを添えて〜

体調を壊してました。 原因は耳鳴り。耳鳴りになった原因は正直わかりません。 通常、難聴からくるものだったり、ストレスといわれているそうです。 耳が聞こえづらくなって、脳がガンバって聞こえづらくなった音を補完するよう鳴らし続けているようです。 自分の場合は聴力に大きな問題があるわけではなかったので、耳垢がつまっていて耳が聞こえづらくなって+ストレスだったのかなあと笑 タイムマシンがあったら過去の自分に、「耳の掃除は自分ではせずに、2-3ヶ月に一回耳鼻科でしてもらえ」、といい

「ひとりぼっち」の誘惑

「ひとりぼっち」の誘惑について書こうと思う。 自分は現在かなりひとりぼっちな方だ。誘うことができる友達は一人程度でその人とも2年ほど会ってない気がする。ラインも話すのはアプリで知り合った女の子数人程度(後日詳しく書きたい)で友達とすることはほとんどない。 ひとりに慣れるととにかく楽だ。誰にも気をつかわないで好きなことを好きな時に出来る。故にひとりに慣れたらひとりの楽さを覚えてそこに甘えてしまう。 自分は今その「ひとり」という沼に半分浸かっている状態だ。 経験を語る高校

サラリーマンはプロの小説家になれるのか?検証348日目

〈検証の概要は最下部に記載しております〉 皆さん、こんにちは。 本日の報告になります。 【日記】 12/14(火)07時00分に起床。 早朝執筆。 朝は、トースト/バナナ/コーヒー。 午前は、人助けの仕事。 スーパーで焼き芋を買う。甘いんだけど、人工的なんだよな〜。 昼は、坦々ごま鍋一人前/納豆ご飯。 午後は、淡々と仕事。 夜は、豆腐ハンバーグ/味噌汁/サラダ。 一人でお風呂に入る。くもん式中学国語の問題集を解く。 残業をすると、すぐに就寝時間がやっ

2021年、風に身を任せる

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揺らぎとあわいに魅了された1年でした。

2021年、ありがとうございました! お世話になった、たくさんの方のお顔を思い浮かべながら書いています。 少しばかり振り返りとこれからについてを記して、ご挨拶とさせていただけたら。 どうかお付き合いいただけたら嬉しいです。 「共に有る」に持っていた壁をこわせ!2021年、私個人の課題としていたのは「宝箱の共有」でした。 私の中には、自分の大切にしているもの、こと、想いをたくさん詰め込んだ宝箱があって。 それを誰かに見せたりするのにすごく苦手意識があったんです。 苦手だっ

物の余韻

物の余韻がある部屋で 私はまだ息をしている 物の余韻がある部屋で 私はまだ外を見ている 新しくなるために 物を捨てて 自分の何かも捨て去って そうして少し隙間が出来たのかも知れない 物は捨ててもその余韻は まだ場所に残っている 新しくなるのか また同じことの繰り返しか まだわからない この余韻の中 次に向かう 年が明けると 余韻の場所に 何かが入って来るのかも知れない。

ギラン・バレー症候群に罹り起きた幻覚 #4

ギラン・バレー症候群という神経の病気に罹りました。ギラン・バレー症候群ではあるあるらしいですが、自分も病気に罹ってからおよそ3週間幻覚が起きていました。なかなか貴重な体験なので興味を持たれる方もいるかと思い、この記事で起きた幻覚のいくつかを紹介したいと思います。 因みに、紹介する幻覚の本当の原因はギラン・バレー症候群なのか、ギラン・バレー症候群治療の過程で使われた鎮静剤や麻酔なのかはわかりません。 幻覚を紹介する記事はこれで終わりです。今までの記事のリンクを下に貼ります。

ギラン・バレー症候群に罹り起きた幻覚 #3

ギラン・バレー症候群という神経の病気に罹りました。ギラン・バレー症候群ではあるあるらしいですが、自分も病気に罹ってからおよそ3週間幻覚が起きていました。なかなか貴重な体験なので興味を持たれる方もいるかと思い、この記事で起きた幻覚のいくつかを紹介したいと思います。 因みに、紹介する幻覚の本当の原因はギラン・バレー症候群なのか、ギラン・バレー症候群治療の過程で使われた鎮静剤や麻酔なのかはわかりません。 天井のカプセル天井には半分埋まったガチャガチャのカプセルがひとつありました

ピアノの先生の独り言#16やるか、やらないか。

ピアノ教師のmasako pianoです。何か新しい事を始める時、もう少し期が熟したら、、もう少し完成度を上げてから、、、と先延ばしにする事多くありませんか? 今日の記事をお耳で聴きたい方はこちら⬇️ やりたいけど、今の自分には無理。資金がない、時間がない、、など。言い訳は不思議と次から次へと出てきます。 その時点で、きっとやりたくないんですよね。それって。いいなぁと思ってはいるけど、自分はやりたくない。これが言い訳の先の気持ちかなと思います。 やるか、やらないか。

『必要十分生活』を読んで

固定観念を瓦解させるような書籍、学問は良い。 なぜなら自ずから差異を産出できるからである。 そこから飛躍させると、その差異の集合体こそが個性 や個人へとなるのだろう。もちろん思想ありきである。 ただし、新たな価値基準におけるその波状もいずれかは沈静化する。そのことさえ留意しておけばよい。

今こそ「立ち止まる」を覚える時だ

大変ご無沙汰しております、ましゅまろすみれです! 気づけば1年もnoteの更新ができずにいました。その間、続けるということの難しさを痛感しつつ、投げ出すということの険しさを実感しつつ、あれよあれよと時が過ぎ、12カ月が経っていました。 「投げ出すということの険しさ」というのは、じわじわっとした、いやな感じです。歩きにくい山道のような。ごつごつした石やら岩やらがたくさんあるような。それで足の裏にじんわり攻撃を食らって、少しずつHPを削られていくような。 ・・・と言いますの

まるとさんかく。

この間夕飯を作るのが面倒で、おにぎりだけで済ませようと 握ったことがあった。 私の手は小さいからお茶碗1杯分のご飯で2個できあがる。 食材もなかったのでふりかけを混ぜ込んだだけの簡単なものだったけど、 そう言えば母はおにぎりを握ってくれる時毎回のように 「丸にする?三角にする?」 と聞いてくれたことを思い出した。 そんな些細な事をふと思い出し、母の愛をそこに感じたりする。 私は高校3年間の内2年半を寮で過ごし高校卒業後は上京をして進学をした。 寮生活では金曜日の夜

◎おにぎり売りの女性◎

「おーにーぎーりーーーー。」 沖縄の国際通りから、商店街へ入る。 そのまま公設市場を通り過ぎ、細い路地裏へ続いていく道を歩くと、どこからか聞こえてくる甲高い声。 「おーにーぎーりーーーー。」 声を辿って行くと、おにぎり売りの女性に出会った。 彼女は沖縄の民族衣装を着こなし、大きな風呂敷を背負っている。 声をかけ、風呂敷の中を見ると、そこには不揃いなたくさんのおにぎりが出てきた。 お互いにぶつかり合い、より一層形に個性が出ているおにぎりを、ひとつ手に取る。 「あ

ココナラでSNSアイコンを依頼

アウトプットのためにnoteやTwitterを始めてみたものの、アイコンが欲しいなと思っていました。                        写真で顔を晒すのはちょっと嫌、かといって自分でイラストなんて描けないしと思っていたときに、ココナラで頼めばいいじゃないかと思って依頼しました。 まずは好みのイラストレーターさんを見つけます              おしゃれ、リアルすぎない、親しみ                   を重視して選びました