140ちゃん

感想文や考えを140字以内で述べてます。 それはひとときの戒めや慰めを目指して。 …

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感想文や考えを140字以内で述べてます。 それはひとときの戒めや慰めを目指して。 「柔軟な好奇心に満ちた、求心的かつ執拗な精神」 が座右の銘です。

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    このシリーズ、私はスキですよ。本当です。

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『フーコー入門』を読んで

本書は今日に至るまで生きてきた私を優しく抱擁した。 しかしそれは、 あの温もりに浸り潤ける私を騙すかのように、 現在の通念と訣別を強いる舞台へと場所を移していた。 そこで私は憤りながら、感涙せざるを得なかった。 「苦心して生きてる私の意義は何?」 その明確な答えを、この手に収めたからである。

    • 『泣きたい日の人生相談』を読んで

      久しぶりに読んで思う。 「これ私が考えたことじゃなかったのか…」 それだけ身に馴染んでいると言えるし、それだけ影響を受けやすいのだとも言える。 また、改めて思うことがある。 「やってみると違うことが見えてくる…」 至極当然のように感じるが、いかんせん言葉で物事を片付けているのも事実である。

      • 『クジラアタマの王様』を読んで

        商業的に描くのか、個人的/趣味として描くのかで、だいぶ異なると感じる。 とは言えど、個人的に描くとは何だ? 現実を凌駕する何かに突き動かされた時だろうか? そうだとしても、創作するだろうか? 考えても方法論にならない。 少し溜息をつきたくなるが、感情と願望に依存するのだろう。では理性とは?

        • 『間抜けの構造』を読んで

          何かと引っかかりを残してくれた。 おそらくは日常生活で気づくことになるだろうし、何らかの形に残っていくような引っかかり。 何かを求めているのだろうか。 ただただ文章を読み漁りたい気持ちの方が強い。 この観察が誤っていたとしても、全く構わない。 言葉に表していくと、分からなくなる部分がある。

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        『フーコー入門』を読んで

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        記事

          『殺人犯はそこにいる』を読んで

          『殺人犯はそこにいる』を読んで

          『躁鬱大学』を読んで

          また同じ感覚だ。 知らないところで何か楽しそうなことをしているのを感じる。「自分にもできるだろうか?」 そしておそらくできることを学んだ。 それで大きく変化させることはできないだろう。 というか、変化させるべきではない。 だからやることにした。 全く辻褄が合わなくてもやらなくては。くたばる。

          『躁鬱大学』を読んで

          『めくらやなぎと眠る女』を読んで

          目を瞑りたくなるときに、どうしようもなく読みたくなる。寂しさで寄り合うように。 心情や掛け合いが日常的だから、自分の理屈に当てはめたくもなる。けれどもあえて傍観者になる必要があるのかもしれない。 無目的の最中であっても蝶を見つけたら追ってみるのだろうか。もしそれが悲劇を呼ぶとしても。

          『めくらやなぎと眠る女』を読んで

          『妻に捧げた1778話』を読んで

          憧れ、思惑、疑念、愛慕、称賛。そんなものを取っ払い、残るのは、良い事実。 「そんなことが可能なのか」という驚きと含み笑い。まさしく、人間によって鼓舞される時。 意識するしないに関わらず、忘れてしまうのだ。 「私たちはどこまでいけるのか」ということを。 近づいてみたいものだ。計画を立てて。

          『妻に捧げた1778話』を読んで

          『あなたに似た人Ⅱ』を読んで

          本当に良いものは言葉に表せないのではないか。 いや、継ぎ接ぎで表すことは辛うじて可能であるかもしれない。だが単語として存在するのか…。 というのは、その体験があまりに行き渡っていないからだ。こっそりと作るわけにもいかない。 という風に展開していけることを教えてもらった。 本当に良いもの。

          『あなたに似た人Ⅱ』を読んで

          『あなたに似た人Ⅰ』を読んで

          やや誇張気味の表現が小説の中では馴染むのだろうか。どの人物に対しても何かしらの愛着が生まれた。 その愛は一種の優越感から生まれたのかもしれない。常識から外れた場所・もので遊ぶが、そこには常識的な心理が這っている。そして愚かしく振る舞っているように見える。眺めているだけで愉快なのだ。

          『あなたに似た人Ⅰ』を読んで

          『ハツカネズミと人間』を読んで

          欧米の小説を読むのも、文章を声に出して読むのも初めてだった。時間をかけて、ゆっくりゆっくりと物語を動かしたいのなら適しているし、飛ばしてなんか読めやしない。 相対的に時間の流れを調整できるのがいい。 何本もの可能性を同時に流していくのがいい。 詩の中から水を引いてきているのもまたいい。

          『ハツカネズミと人間』を読んで

          『小説家という職業』を読んで

          私は普段から考えていないのではないのだろうか。思いつくことがあってもそこから展開し続けることはない。 ただ思い出せないだけかもしれないが、このように文章を書いている時の方が、考えている気がする。 そもそも、考えたいと思っていない。 考えさせられることの方が多い。「暇と退屈」は、まさに。

          『小説家という職業』を読んで

          『史上最強の哲学入門』を読んで

          誰もが個人的真理の追究を、哲学を構築し始めるとしたら…。そこに理解や批判、それ以上のことは必要だろうか? 戯言なんだろうか。小難しいことは置いておき、自分を最優先し、その余力で協力していく。 創造には仮定を、現実には疑いを。 そのズレの中で行動を続けるのは難しくも、価値があるのだろう。

          『史上最強の哲学入門』を読んで

          『面白いとは何か?面白く生きるためには?』を読んで

          似た内容の本を読んでいると、いい加減に腰を上げることとなる。自分の言い訳が一辺倒で、嫌気がさす。それを払拭するために。 いつもと違う行動してみると、抽象的な内容をなぞっていることに気づく。そして一人で悦に入る。 自発的に利己的な行動を採っていると、やはり行き着くは先は利他的なのでは。

          『面白いとは何か?面白く生きるためには?』を読んで

          『苦しい時は電話して』を読んで

          時間の使い方、暇と退屈、何かを作ってみる。 自分が触れてきたもの、現在触れているものが商品の一種であったから分かりにくかった。 そこから現実を一変させようと執拗になっていた。 一銭にもならないことは本当に無駄だろうか。 創造の過程に自分以外が必要になるのだろうか。 ただ分からなかったのだ。

          『苦しい時は電話して』を読んで

          『自由をつくる自在に生きる』を読んで

          「なるほど」と思うことがあっても、何に反応しているのかわからないことが多々ある。 そこで言語化など記録をつけないのだから、その瞬間瞬間が後々に役立つのかすらわからない。 「暇と退屈」に対する非一貫的な手段をあてもなく探している。そこには過去の経験や慣習、常識がいらないから削ぎ落とす。

          『自由をつくる自在に生きる』を読んで