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『めくらやなぎと眠る女』を読んで
目を瞑りたくなるときに、どうしようもなく読みたくなる。寂しさで寄り合うように。
心情や掛け合いが日常的だから、自分の理屈に当てはめたくもなる。けれどもあえて傍観者になる必要があるのかもしれない。
無目的の最中であっても蝶を見つけたら追ってみるのだろうか。もしそれが悲劇を呼ぶとしても。
『妻に捧げた1778話』を読んで
憧れ、思惑、疑念、愛慕、称賛。そんなものを取っ払い、残るのは、良い事実。
「そんなことが可能なのか」という驚きと含み笑い。まさしく、人間によって鼓舞される時。
意識するしないに関わらず、忘れてしまうのだ。
「私たちはどこまでいけるのか」ということを。
近づいてみたいものだ。計画を立てて。
『ハツカネズミと人間』を読んで
欧米の小説を読むのも、文章を声に出して読むのも初めてだった。時間をかけて、ゆっくりゆっくりと物語を動かしたいのなら適しているし、飛ばしてなんか読めやしない。
相対的に時間の流れを調整できるのがいい。
何本もの可能性を同時に流していくのがいい。
詩の中から水を引いてきているのもまたいい。
『史上最強の哲学入門』を読んで
誰もが個人的真理の追究を、哲学を構築し始めるとしたら…。そこに理解や批判、それ以上のことは必要だろうか?
戯言なんだろうか。小難しいことは置いておき、自分を最優先し、その余力で協力していく。
創造には仮定を、現実には疑いを。
そのズレの中で行動を続けるのは難しくも、価値があるのだろう。
『面白いとは何か?面白く生きるためには?』を読んで
似た内容の本を読んでいると、いい加減に腰を上げることとなる。自分の言い訳が一辺倒で、嫌気がさす。それを払拭するために。
いつもと違う行動してみると、抽象的な内容をなぞっていることに気づく。そして一人で悦に入る。
自発的に利己的な行動を採っていると、やはり行き着くは先は利他的なのでは。
『苦しい時は電話して』を読んで
時間の使い方、暇と退屈、何かを作ってみる。
自分が触れてきたもの、現在触れているものが商品の一種であったから分かりにくかった。
そこから現実を一変させようと執拗になっていた。
一銭にもならないことは本当に無駄だろうか。
創造の過程に自分以外が必要になるのだろうか。
ただ分からなかったのだ。
『自由をつくる自在に生きる』を読んで
「なるほど」と思うことがあっても、何に反応しているのかわからないことが多々ある。
そこで言語化など記録をつけないのだから、その瞬間瞬間が後々に役立つのかすらわからない。
「暇と退屈」に対する非一貫的な手段をあてもなく探している。そこには過去の経験や慣習、常識がいらないから削ぎ落とす。