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【オーストラリア滞在記】ド田舎で暮らすメリット、19日目

想像していたオーストラリアのワーホリとはだいぶかけ離れた生活をしている今。

オーストラリアといえばファームで働き、休みの日はシェアメイトと海に出かけ、ファーマーズマーケットで買い物をして、行きつけのカフェに行きコーヒーを飲む。
あわよくばこんがり日焼けし自然が好きで、表現豊かな感性を持つ日本人の友達を作る、という勝手なイメージを持って渡豪した。

FBでオーストラリアの日本人コミュニティーグループに投稿される内容を読むたびに、日本人とここでの生活のことを直接話して共有できること、いいなあと思うこと時々。恐らくまだちょっとホームシック。

大きな街に行けば、いろんな出会いもあるもので、やはり海外にいる醍醐味、外国人との交流の気軽さでいうと、高確率で大きな街に軍杯が上がると思う。

でもそんなこと、ここで吐き出すことは許されても、自分のマインドで持ち続ければ毎日がつまらなく、後悔ばかりになってしまうだけだ。
どうせならごく少数の経験者として、このド田舎での生活の楽しいところ、良かったところを見つけてみようと思う。


オーストラリアのド田舎で暮らして良かったこと


日本人がいないので変な気を使わなくてすむ

言語が同じ、母国が同じというと時々生まれる変な連帯感。

カナダでの語学学校の時に特にあった。
英語を話すためにここにきたのだから、日本人とばかりつるんではいけないのに。どうも居心地が良いし、日本人と一括りにしてはダメだけど、この人たちいい人だし…。
そもそも海外にいる人たちだから感覚があう!
とずるずるいつまでも一緒にいてしまう。

英語を話したい。外国人と交流したい。
でも日本人、居心地がいい。というその狭間の葛藤。

から強制的に解放される。

ここ日本人、いないので。


・上記の結果、強制的に英語を使わざるを得ない生活

→ ものすごい速度で英語脳になった。

感覚が英語をそこそこきっちり仕事で使っていた時にすぐ戻った。

家で日本語のドラマを見ていても全く湧かない罪悪感。
むしろあれ、日本語のこの意味なんだっけ、この漢字なんだっけというゲシュタルト崩壊。
夢ですらなんか英語で色々言われながら追いかけられている。(ハリポタの見過ぎ。)


・ストレスがない

ホームシックはあるけれど。
段々顔見知りが増えてきて、引っ越してきた当初に比べるとそこまで辛くはない。
これは恐らくこの生活環境に慣れれば、知り合いが増えていけば、いつか解決される問題。

ストレス、と言ってしまうと語弊があるのだけれど、上記2つの点の葛藤がないだけで私にとって、英語を話したい、オーストラリアの文化や生活環境を知りたい、自然を満喫したい、お金を貯めたいなどという目標がクリアされており、かなり満足感のある毎日が送れている。


・インターネットで大体なんでも解決できる

これは田舎での良かった点とは少しずれるけれども。
寂しくなれば電話で誰かと話せるし、見たいテレビは大体サブスクやネットで探せば見つけられる。
欲しいものは時間はかかれどAmazon大先生があるので問題ない。

むしろどうやったら手に入るのかを調べることで、私はFBのマーケットプレイスであったり、他のアプリであったり、オーストラリア特有のコミュニティーなども見つけられて新しい発見ができた。


・自分の時間を大切にできる

→ 本当にやりたいことを、自分と向き合って見つけられる

ありきたりなように聞こえる言葉なのだけれど、
これは本当に心から思う。

情報量の多い大きな街にいると、若干注意障害、そしてHSP気味な私には否応にも集中力や脳の記憶量は削られる。
嫌いとまではいかないけれど、とっても疲れるし、選択肢が多すぎて、自ずと興味も分散してしまうのだ。

私はオーストラリアでやりたいことがあったので、そこに集中できる、どっぷりとはまれる環境を作れたことは、この周りに自然しかない、という場所だったからできていること。


とはいえ、デメリットもある。

でも今日は良かった点のお話しなのでまた今度。


明確でなくても、ぼんやりとでも、憧れでもいい。
いいな、やってみたいな、素敵だな、と英語やオーストラリアに憧れがあるのであれば、
全然田舎でだってやっていけると私は思う。




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