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褒め合いっこと自己肯定感

子供の頃から要領が良くなかった。
友達付き合いも下手くそだった。

学校生活、習い事、部活にアルバイト、就職。
それぞれのステージでぶち当たった数々の小さな挫折が積もり積もって、成人する頃にはすっかり自己肯定感の低い大人になってしまっていた。

幸い学生時代から友人には恵まれていて、小学から中学、高校、大学までそれぞれ今でも定期的に連絡を取り合える友人がいる。
さらに幸運なことにこんな私をとても大切にしてくれるパートナーにも巡り合えた。

それでも地べたを這うような低い自己肯定感は上がることはなく、二つ目の職場の上司との不和により、とうとう地面にめり込んだ。
私は心療内科に通い始めた。

私なんてなにもできない、価値のない人間だ。
本心からそう思うほどに参っていた私は心理カウンセリングを受けた。

カウンセラーに話を聞いてもらい、アドバイスを受け、日常の中でどのように気の持ち方を変えていったか。
実践したことをここに書き留めたいと思う。


■出来たことを数える
最も精神状態が安定していなかった時期、日常生活の中でできないことがとても多かった。とにかく色々なことが不安でたまらなかったし、体調もとても悪かった。

公共交通機関は使えない、美容院や映画にも行けない、長距離の移動ができない、まともに食事がとれない、すぐに疲れて家事もまともにできない。

今日はあれができなかった、これが出来なかった。
「できない」という実感だけが心の中に降り積もっていく。それがより一層、精神状態を悪化させていく。

私は夫にも協力してもらい、どんな些細なことでもいいから、その日できたことを数えるようにした。

洗濯ができた。
夕飯を用意できた。
病院に行けた。
買い出しが出来た。
体調が悪くてほとんど動けなかったような日ならば、
きちんと起きて服を着替えられた。
飼い犬に餌をきちんとあげた。

そんなことでも一つ一つ報告すると、夫は「ありがとう」「えらい」と肯定してくれた。
出来たことを自分で口に出して、ひとに肯定してもらう。
それによってネガティブな感情でモヤのように満たされていた私の頭の中は、少しずつ晴れていった。

ほとんどの人から見れば出来て当たり前の、なんてことのない、ただ生活をしているだけのこと。
だけど当時の私にとっては、視線を地べたから人並みの目線に戻すための大事な作業だった。

■自己申告と褒め合い
私達夫婦は元々お互いの収入にさほど差のない共働きだった。
なので結婚当初から家事は出来る方が気付いた時にやるというスタイルだった。

私が仕事を辞めてからは当然私の家事のウェイトは大きくなったが、夫もまた仕事から帰った後や休日などにできるだけ家事をやってくれている。
私達はお互いにそれを自己申告するようにした。

私が「ご飯を作ったよ」と言えば、夫は「ありがとう」と返してくれる。そして汚れた食器を夫が「洗ったよ」と言えば私も「ありがとう」と返す。
夫の出勤中にこなすことができたことを自分から報告し、褒めて貰う。休日に掃除機をかけてくれる夫を、私も「天才!最高の旦那!」と褒める。

元々私の自己肯定感を上げるために協力してもらって始めたことだったけれど、これは自己肯定感を高めるためでなくとも、普通の共働き夫婦でもぜひ試してみて欲しい。

自分ばかり家事の負担が多いのではないか、やってもやっても報われないと感じている人は少なくないと思う。

だけどそれに対して「ありがとう」と言ってもらえたら?
「えらいね。すごいね」と褒めて貰えたら?

たった一言でもあるだけで、気持ちは違うのではないか。
やってもらった方にしても、改めて感謝の気持ちだったり、自分も何かしようという気になると思う。

お互いに自分が出来た小さな頑張りを主張して、それを褒めて貰うことで、家事をやって当たり前のものと思わないようになったと感じる。

我が家では家事はやれれば偉い。褒められるべきことだ。
少々大げさでも言葉にすることによって、お互いに感謝の気持ちを持てるような気もする。


■今日も一日生きていた
一番どん底に落ちていた時は、正直生きていることが辛いと感じる日もたくさんあった。

体調が悪くて何もできず、食事もままならない日は今でもたまにある。
そんな時はもはや「今日も一日ちゃんと生きていて偉い」と自分自身に言い聞かす。

全てを手放したいとさえ思ったあの頃を思えば、朝送り出した夫を「おかえり」と言って迎えられたのなら、それは幾らもマシだ。

以前は出来ていたことがたくさん出来なくなった。
今でも出来ないままのことは多い。

だけど出来ることを数えて、それを認めて、少しずつできることを増やしていく。まだまだ道のりは遠いかもしれないけど、明日にはまた何か出来るようになるかもしれない。

夫にはたくさん負担をかけていると思う。申し訳ないなと思う。
だけど明日も「いってらっしゃい」と見送り、きちんと「おかえり」と迎えることだけは出来るように。

何もできなくても、生きていれば偉い。

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