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植物を摘む

陶芸家の友達がつくって、わたしのためにくれたか、引き出物としてもらったか、いずれにせよ、だいぶ前にもらった作品に、野草をとってきて入れてみたくなった。

いつも、やつは、

しのっつあん、家で植物を生けるような生活しなくっちゃあだめだよ。

って言うんだけれど、ほぼ万年鬱のわたしには、そんなこころの余裕などあるはずもなく、

こころの中で

無理だよ…

って言っていた。

そして今、こころに余裕が爆誕している笑

作品的にわたしにはなのだけれど、どう考えても、「和」の植物なので、

葉っぱ拾ってくるか…タダだし…

と思ったのだけれど、

野草や、野の花をわたしの手で「摘む」ことに、幾ばくかの抵抗があった。

それってその植物の命を摘むってことだよね…

人間のエゴで、植物は…

とか考えちゃって、

生けるか迷っていた。

しかし、花屋さんのことを考えてみた。

売られるためだけに育てられ、成長した花々。

売れるのはまだしも、破棄される花もあるだろう。

ペットショップも然り

競馬の競走馬も然り

うーむ

悩んだ。

そして結局、人間のエゴをとった。

アスファルトの中にある土に根を張って逞しく生きている野草、野花を摘むことにした。

今日の朝、いつものバナナがきれていたのに気がついて、近くのコンビニへ行った。

その道すがら、電柱に生息している野草が目に入った。

買い物が終わり、その電柱の野草を引っこ抜いてみた。

そして、その場で枯れているところの葉を、ばさばさと引きちぎっていた。

そうしたら、子供の頃、よく遊んだ公園の原っぱで、野の花を摘んで、それらの茎を編んで輪っかにして頭に乗せたり、首輪にして遊んでいた光景が浮かんできた。

摘んだ葉の裏によくみると、白いつぶつぶがあったから、

ああ、虫の卵だな。

と思って、指で潰していくのに、ハマっていた。

そうしていたら、

近いはずのコンビニなはずなのに、なかなか帰ってこない、わたしを案じて、パートナーから電話が来たので、事情を話して帰路に着いた。

帰ってからバナナを、買い忘れたことに気がついた笑

それから、生けてみたのだがどうだろう。




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