東雲ユニコの勝手に読書感想文!「マチネの終わりに」平野啓一郎
今後、勝手にシリーズ化(!?)していきたい一つです笑
で、今時間泥棒の被害に遭っているので、以前さるアプリにアップしたものを、とりあえず使用いたします。
字数制限下での感想文だったので、短いです。
ちょっと(結構?)推敲しましたが。
めちゃくちゃネタバレしてますので、"悪しからず"で!
まず、平野氏の圧倒的な語彙力と表現力には頭が下がる。それは事実だ。
より小説の世界に浸る為に、出てきた曲をいちいち携帯で検索して、YouTubeで再生して、その曲たちを聴きながら丁寧に読んでみた。
そうして読み進めていくうちに、"愛"という定義がわたしの中で曖昧なものになっていき、空中分解していった。
蒔野が歪んだ早苗の愛に触れた時に、
彼は早苗を
<深く愛してしまっていた>
というくだりがあるが、
わたしは、その時
「それは"情"と呼ぶものなのでは?」
と思い、違和感を感じずにいられなかった。
蒔野と洋子に至っては、
読み進める毎に、
体を重ねなかった故に、
より一層
"お互いを精神の拠り所、よすがとして求め合う共依存の関係"
にしか見えなくなってしまっている自分がいた。
さらに、2人からは
"snob"
"snobbism"
の匂い(もはや漢字表記は"臭い"にしたいぐらい)がぷんぷんしてきて、
いつの間にか2人の関係はわたしの中で〈不快なもの〉になっていた。
結局平野氏は何を書きたかったのか?
『孤高の天才ギタリストと、サラブレッドハイスペック女子による、凡人にはとうてい理解の及ばない次元の高い崇高なる恋愛』
…なのか?
ラスト2人が再会する事にも非常に疑問を感じた。
〈会ってどうする?〉
〈蒔野よ、一体早苗や子供をどうするつもりだ?〉
〈おーい、2人とも、周りの声聞こえているかー?〉
と、
"読者置き去り感いっぱい"
の気持ちのまま、わたしは本を閉じたのだった。
タイトル「マチネの終わりに」の続きに"rendez-vous"ってつけてやりたくなった笑
以上です!
*これはあくまでもわたし個人の感想なので、読んだ方はご自分の感想を大切になさって下さいませー。
この記事が参加している募集
いただいたお金は、海外で、性が<女>というだけで虐げられながら生きている「女の子」達を支援している国際NGO、「公益財団法人 プラン・インターナショナル・ジャパン」の寄付金に充てさせていただきます。 https://www.plan-international.jp/