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名画座から考える、若者がレトロに憧れるワケ

若者の間で起こる『アナログ回帰』

 「小さい頃に一番感動した記憶は?」と聞かれる時があれば、私は間違いなく
「生まれて初めて映画館にいったとき」と答える。
初めて映画館にいったのは、4・5歳の頃。『劇場版ドラえもん』を観にいった記憶がある。今までテレビでみていた映像が、巨大スクリーンで観ることができ、自分の座席の後ろからも大音量で音が聞こえる。まるで、本当に映画の世界に入り込んでしまったかのような感覚を覚えたのだ。
そんな記憶があるから、私は映画館というものが好きである。とりわけ好きなのが、名画座だ。
 今考えると、初めて行った映画館は、いわゆる名画座と言われる部類に入るものだった。目黒区自由が丘。今では「スイーツの街」として、週末になると多くの人で賑わうこの街には、昔映画館があった。近隣の人には愛された映画館であったが、2004年2月に惜しまれながら閉館した。
 私の原体験が名画座であったからだろうか。大学生になり、映画を観る余裕ができるようになると、私は普通の映画館ではなく、名画座に通うようになった。
 名画座が好きという話をすると、若者の間でも思ったよりも、名画座が好きな人が多いと感じる。そういう人たちと「なぜ名画座が好きか」という話を深掘りしていくと、「アナログ」という言葉がキーワードとしてあがることがわかった。

最近、世の中でも「若者のアナログ回帰」ということが言われ始めている。

デジタルネイティブ世代である若者の間では「フィルムカメラ」「カセットテープ」「レトロ家電」「純喫茶」「銭湯」「ネオ横丁」……と、モノからコトまでいろいろな方面で昭和~平成初期を中心とした「レトロ回帰」がブームとなっています。
https://backyard.imjp.co.jp/articles/retro_kaiki(参考)

昭和〜平成初期では当たり前であったものが改めてデジタルネイティブ世代である、10代〜20代の間で人気を博しているのだ。
 なぜ、若者は「アナログ回帰」に走っているのか。同じような記事が様々出回っているが、「名画座」という切り口からその理由を3つのポイントとして自分なりにまとめてみた

1:「オリジナリティ」が新鮮に感じるから

 私は、1995 年の1月生まれだ。それまでマニアックな人たちだけが使っていたパソコンが一般の人まで普及するようになった革新的なOSであるwindows1995と同い年である。父がいわゆる「新しいもの好き」であったため、物心ついた時から私の家にはwindow95が搭載されたパソコンがあった。パソコンにはサンリオのPCゲームが入っておりそれで遊んでいたため、私のパソコン歴は、22年以上であることは間違いない。

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一部の人には「懐かしい」と感じるであろう、サンリオのTINYPARK。


 パソコンの革新的であるところの一つに、「複製」ができるところであると思っている。作成したデータも、コピーをすることで全く同じものを簡単に作ることができる。クリック一つで気軽にできる「複製」が爆発的に広まることにより、同じものが無数に世の中に溢れるようになった。
 また、パソコン以外にも「複製」されている場が多い。その典型例が、「チェーン店」である。私が生まれた時から、同じ系列のファーストフードやコンビニ、スーパーがどこにでもあり、常に不自由することなく生活することができた。一方、チェーン店は「絶対に美味しい」という100点の安心感はあるが、120点の「想像を超えた」というものはないと思う。例えば神保町の古書街では古本屋にノスタルジーを感じる人も多いと思う。一方、品揃えも古書街にも多いにも関わらずBOOKOFFでノスタルジーに浸る人は多くないだろう。
 映画館もそうだ。普通の映画館は、外見もコンテンツも地域で共通している。最新の映画を観にいくときは、映画館の設備や雰囲気で観にいく人は多くないだろう。多くの人は、自分の家や友人と観にいくときに「便利」であるという理由から選んでいると思う。
 だが、名画座は映画館によって形も違えば、雰囲気も違う。そんな雰囲気も合わさってみることで、観た作品の雰囲気も、また変わってくるのだ。普通の映画館では、「本当の作品の良さ」と向き合える面ではとてもよいが、名画座では、「本当の作品の良さ」に加え、雰囲気が良ければ観た映画の印象もさらによくなるという効果もあるのではないかと思う。
このように、今の世の中は場所やモノの「オリジナリティ」を感じることができる場所が少なくなってしまっているため、それを若者は求めるようになっているのではないかと考えた。

2:想像を超える「第三者の」温もりを感じられるから

 ではなぜ、オリジナリティを若者は求めるようになったのか。それは、「温もり」を感じることができるからではないかと私は考える。複製は「無機質」に感じてしまい人の温もりが全く感じられないからだ。
 今の若者世代、とりわけ幼少期を都内で過ごした人は人の温もりを感じられる場所が昔に比べると減っていると思う。私自身、幼少期から都内で過ごしているが、家族とも特別仲が悪いわけではないし、親身になって考えてくれる友達もいる。だが、第三者との関わりが極端に少ないと感じている。小さい頃から、「知らない人とは話してはいけません」という教育を受けてきたため、極力自分の知らない人と話すということはしなかったし、近所の人とも心を許して話すということはなかった。映画によく出てくるような、近所の商店街の人と仲良しということも全くない。私の周囲の友人に聞いても、都内に住んでいる人ほど、家族や友人以外の第三者との交流は極端に少ないように感じる。それが当たり前だと、高校を卒業するまで思っていた。
 だが、大学生になり名画座に通うようになり、当たり前を覆された。名画座には、いつも同じ常連のおじさんがいたり、チケットを販売してくれる人もいつも同じ人がおり、常連さんと気さくに話している様子を見ることができたりと、とにかく温かい。私がおどおどしながら初めて行ったときでさえ、「寒くないか?」だったり、「この席の方が観やすいよ」といったことを話しかけてくれたのだ。
 私は、このように話しかけられたことにより普通の映画館で見た映画よりも心が温まり、また行きたいと強く思ったのだ。
 若者の間でスナックが流行っていたり、移住をする人が増えていたり、シェアハウスをする若者が増えているのも、わざわざ普通のホテルではなく、旅をするとゲストハウスに泊まるのも、私が感じた理由と同じだろう。温かさ・優しさに触れることで、自分の想像以上の満足を得ることができるからだ。

3:自分より年上の「大人」に憧れるから

映画やドラマの中には、必ずといってよいほど、登場人物の周りに第三者であるが見守ってくれる存在が出てくる。
 例えば、私が最近観たコンテンツの中でいうと、今コロナウイルスの関係で再放送中のTBSドラマ『凪のお暇』でも武田真治がスナックのママ役として登場し、高橋一生にアドバイスをしていたり、映画『アメリ』の中でもアパートの同居人の画家が主人公と話すことで、物語が進展していく。名作映画『ニュー・シネマ・パラダイス』でも、少年トトと映画技師のアルフレードは「映画」というキーワードでしか繋がっていない、第三者であるが、幼少期に出会ったアルフレードとの交流により彼の人生は大きく変わっている。
 今の日本を生きる若者はどうだろうか。今、出会う第三者と言ったら、理美容院や、行きつけの病院しかない人が大半である。人によって「行きつけ」を作っていない人であればそれさえもないかもしれない。
 そんな若者でも、アナログに触れることで誰かと話す機会が圧倒的に増える。名画座に行くだけでも場合によっては誰かと話す機会が普通の映画館に比べると多く、純喫茶に行くとスターバックスよりもwifiなどは整っていないかもしれないが、マスターと話す機会だってあるかもしれない。フィルムカメラ一つにしても、フィルムを現像しに行く際に人と話す必要があるし、チェーン店ではないフィルムカメラ専門店に行くと、またそこで不思議な出会いもあるかもしれない。
 若者にとって、アナログに触れることで映画やドラマでしか観たことのない「大人」との交流も増え、自分の知見も増やすことができるし、新しい価値観や「120点の満足」を得ることができるのだ。
 昨今、飲み会を嫌う若者が多いというニュースも出ている。私は、このニュースを履き違えている「大人」が多くいると思う。もちろん、若者の中にも人との繋がりなどを窮屈に感じる人も多いと思うが、若者がおじさまたちとの飲み会に積極的に行かなくなる理由は、「強制的」であったり、意義が全くない、時間だけが無駄になる飲み会が圧倒的に多いからだ。
 むしろ、若者のインサイトを考えると、「大人」と話したいと思っている若者が一定数いるのではないかとも考えるし、大人から「ためになる話を聞きたい」と思っていると思う。

推論:

レトロを求めている理由は、昔はあって今はない「温かさ」、そして「第三者」との交流を求めているのではないか?

私が考えた3つの理由は、自分の体験に基づいて導き出した結果である。
上記の理由だけがアナログ回帰の理由ではないかと思うが、少なくとも私のインサイトはそこにあった。私のレトロ好きに関する行動も、上記3つに基づいているのだ。
もし、今の生活に何か違和感を感じていたり、少し人の温もりを感じる何かをしたくなったら、まずは「アナログ」を感じられる場所…名画座に足を運ぶのもよいのではないだろうか。



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